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テレビで「平塚 八兵衛」

録画しておいた「平塚八兵衛 吉展ちゃん事件」をみた。

昭和の名刑事、平塚八兵衛の事件解決への執念がすごかった。そして犯人の小原保の生い立ちまで追い続けた執念をみて、あの刑事としての執念が、時に冤罪をも生みかねないと感じた。正しく犯人を追い詰められたのは、一種の職人技のようだ。

とはいえ、後に小原保は犯罪は認めていたが、実際には足が悪くて走って逃げられない、自転車での行動も素早く動けない、殺し方も口を塞いでいたら死んでしまった、などと話していた。死刑を逃れるための、過失致死での再審を狙っていたのかもしれないが。

当時既に、死刑執行までには時間が掛かっていたのに、30歳で犯行、2年後に逮捕、38歳で死刑が執行された。逮捕まで警察側も失態が多かった、世間的にも4歳という幼い子供を誘拐し、身代金を奪い、殺害と遺体遺棄をいう凶悪性から執行が早かったのではとも思える。


内容的には全く違うが、底辺に地方出身者で有ったり、方言・学歴・貧困・ネグレクトといった経験を持ち、懸命な努力にも拘わらずアイデンティティを見いだせずに、底辺へと落ちて「社会的排除」を受けていた。そういう事から連続殺人犯の永山則夫を思い出す。

社会学や貧困を学ぶときに、永山則夫を引き合いに出される事が多い。本人の獄中記など、著作物もあり、捜査結果も豊富にあるので研究対象にしやすいのかもしれない。


現在は、ここまで酷い状況は無いだろうと思われる。一時、警察署の手伝いで夜間巡回などもしたが、そこでみた子供達は確かに疎外され、社会からも学校からも無視をされていた。

一度中学の校長室で先生と話す機会を得て、見てきた状況を話した事がある。先生達にとって、数百人をあずかり、その子達に学問の教育し、将来の進学や就職のために、できる限りの尽力はしている。先生達の現場での苦労も聞き、わずか問題児10名程度のために、大変な思いをしてる事も知った。

対応をすべく、ご苦労をされている先生の話も聞いた。ほとんどの家庭で親の無関心がみられたという。ネグレクトであり、学校での集団からの孤独・孤立、同じ様な者同士での集団化へ進み、対応が出来なくなるという。

全てが親だけの責任では無いが、やはり根底には貧困や社会的孤立、家族そのモノが排除されているような社会を感じられた。俗に「核家族」という言葉に象徴されるように、社会からの孤立も問題の底辺に有るように思う。同時に地方と都会での生活の楽さや、物の豊かさを誇らしげに誇張し販売促進を促すCMなど、考えるべき事も多い。

その解決策として、やはり現役を退いた高齢者の活用も考えられる。ただ残念ながら今の高齢者は、戦後のベビーブーム世代になり、激しい競争社会の中で現在の日本経済を築いてきた人達である。最も大きな問題、地方と都会の差別、学歴や貧困などの、見えない差別の中で戦い抜いてきた人達である。弱者への眼差しと救いの手法は、経験されてこなかった世代とも思える。

テレビを観ていて、ドラマの中以上に考えさせられる事が多かった。

正月には孫達も来るし、また少しずつ、祖父や多くの周囲の大人達から自分が受けてきたように、様々な機会を通して殻を作らないように、枠に閉じ込められないように、少しでも手助けをしなければ、などと思う。

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