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遠くの親類より近くの他人

「遠くの親類より近くの他人」という。

夕方、風呂自動で湯沸かしのスイッチをいれた。時間が掛かるだろうと、自室で調べ物を始めて、熱中しすぎて数時間が経ってしまった。かなり遅くなって、ちょうど風呂から出たときに隣のご主人が来た。まだ着てなかったので玄関越しの会話だけだが、お風呂が沸いたのに長い時間、全く音が聞こえなかったので声掛けに来たという。お礼を言って、後からジンワリと感謝の気持ちが湧いてきた。

普段あまり話す機会もなく、顔を合わせることもほとんどないのに、何時もと違うことに気付いてもらえるとは。最近は咳ばかりして、朝の散歩にも出掛けなかった。最近、ゴミ出しでも会わなくなり、いろいろと気遣っていたようだ。娘夫婦にはいつも世話になってるが、昨年の12月以来、来ることもなかった。実際には2週間近くも寝込んでいたが、連絡をしなければ分からない。


ちょうどその日の昼頃、ある宗教団体の勧誘が来た。数ヶ月に1回は来て、ダラダラ話して新聞を置いていく。妻の実家の義父が、某宗教団体の元幹部で選挙やら活動とかで定職にも就かずに、暇になるとパチンコで外見とはかなり違う人だった。その団体よりも少し小さな、似たような団体で活動も似ている。元は同じ寺から派生したもので、互いに寺からは破門されてる。いわば同じパイの中で信者の奪い合いをしてる。もう10年以上も飽きずに来ている。このしつこさは、やはり似た者同士と言うべきか。

玄関を開けるなり、また新聞を差し出した。思い切り咳をして、インフル、とだけ言うと、慌てて外に出て玄関を閉めて、郵便受けに新聞を入れたので読むように言う。お題目をあげないと、間違った宗教をしてると、などと毎回同じ事ばかり話して困っている。人の幸せを願う活動をしてると言いながらも、インフル、の一声で慌てて玄関から出て閉めてしまった。大丈夫かとか、具合はとか、その一言もなく新聞を読むようにとは、何となく本質が分かったような気がする。

隣の人の方が、最近咳をしてたことや、風呂が沸いても入る気配もないと心配して、夜中にも拘わらず訪ねてきてくれた。遠くの親戚や宗教活動よりも、近くの他人の方が良いと言うことだろう。

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この団体も大きい方の団体も、共に宗門からは破門された。義父もうるさかったが、金蔓である我が家には選挙の時だけ来ていた。

あまりうるさいので、宗門の歴史を調べた。本山の中心の板曼荼羅、伝説の話とは違って、作られたのは五代目の法主の時だった。他宗に比べ本尊が無いというので、楠の板に掘り、漆で仕上げた。そもそも、宗祖がその曼荼羅を書いたという日にち前後の手紙を見ても、書いたという事は一つも書かれていない。経典よりも宗祖の手紙を教えの根本としてるなら、一閻浮提総与の大曼荼羅の書かれたことが、手紙に書かれていないことはおかしい。

また、宗門の歴代法主や教学の論文集、約800年間の様々な文献集を調べても、大きな板曼荼羅を担いで、現在の宗門の地まで運んだとは書かれていない。むしろ本尊は無かったので、五代法主が書かれて板曼荼羅の作成をした、と有った。

如何にも信仰心があるようでも、上から教えられた事を鵜呑みにして、事実を調べようともしない。本当に信じているなら、歴史まで調べるくらいはするべきだ。信者とは、まさに「儲」ける、という事か。笑える。

仏教は空海の真言宗を、菩提寺の住職から教えられた。祖父からは代々伝わる古神道を教えられた。仏や守護神や、輪廻転生とか地獄と天国などよりも、祖父から学んだ神道の考え方が自分にはシックリと馴染める。

大きな岩や瀧や大木や山を信仰の対象としてると思われてるが、それは表層の一部であり、大きな自然を敬うための、目に見える一部と教えられた。風も天気も水も、人に益が有れば「善神」であり、苦役をもたらせば「悪神」となる。善悪共に避けずに捉え、自然に委せ、自然とともに生きたい、と言う考え方が好きだ。

祖父に学んだ古神道の考え方を持つと、仏教もキリスト教も、何となく馴染めてしまう。一神教とか多神教とかではなく、自然の一部の中の、生き方の捉え方として、矛盾無く教えとして学べる。

という生き方をしてるので、強制的に邪教とか、信じないと、新聞を取らないと、選挙の応援をしないと、罰を受けて苦しむ、などと言われると無性に怒りが湧いて反発したくなる。面倒くさくて困ったものだ。

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