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夢で逢えたら

野点をしてる、タカ姉の夢をみた。

タカ姉は2歳年上だが、今はこちらが年齢など追い越したようで、タカ子の方が若く見える。年上だが、両家ともに認めた結婚相手だった、と言葉の端々に言うが、そんな話しなど聞いた覚えなどない。

許嫁といえば、たしか小学生の頃に、そういう女の子がいた。田舎の家に行き、祖父から書を習っていると、いつの間にか近くに座っている。赤いスカートに白い半袖シャツ、髪はむかしのオカッパという刈り上げたものだった。その印象しか残っていない。小学校の高学年になった頃から、その子は祖父の家に来なくなり、そのまま会えなくなった。誰もその子について話すこともなく、幾度か聞いてみたが、返事もなくて何となく聞いてはいけないような雰囲気を感じて、詳しく聞かずに今に至った。足に虫刺されの痕のある、可愛い子だったが。

タカ子の家は幕末の頃まで作り酒屋だったと聞いた。明治期に何かの商売に替わり、一時期は成功したらしい。戦前に分家をして和菓子屋を始めたが、戦争で上手く行かず苦境に陥ったと聞いた。戦後の再建時に父が出資をし、保証人にもなり、そんな関係でむかしは時々会う機会もあった。

夢の中では、何処かの寺の庭で、紅葉に囲まれての野点が行われるということで、タカ子から必ず来るようにと連絡があり、イヤイヤながら出かけた。行動派で強引な性格で、どうもこの人に強く言われると弱い。

会場受付前で待っていて、あの時と同じ朱鷺色の道行を羽織っていた。何やら話しかけて一人で笑っている。こちらは面白くもない。

野点と聞いていたのに、一つ紋に着替えるからと少し離れた、露地とは違う、中門をくぐった先の物置小屋にみちびかれた。物置小屋とはいえ、茶席の前にここで着替えができるように、大きな姿見と幅の狭い姿見が用意されている。

たしか50年前に行われた茶会でも、ここで数人の女性の着付けの手伝いを受けて、羽織袴の和装に着替えさせられた。羽織袴などに着替えたから、先生の後に座らされ、次客の席に着かされた。あの失敗以来、茶道から遠退いてしまった。

姿見の前で長めの道行を脱いだら、もう全身裸になっていた。こちらに向き替えて、笑顔のそれは若い頃のタカ子の顔で、その身体は息が止まるほどキレイだった。

ゆっくりとモデルのようなポーズを作りながら回り「どう、きれい」などと、聞いてくる。あまりの美しさで声も出ない。

若い頃に、何度か春の茶会に呼ばれたことのある、寺の本堂の横を入った茶席の建物を過ぎると、突然開けた庭になっている。広い庭で野点が始まり、タカ姉と二人だけになっていた。

紅葉ではなく、周囲は新緑の美しい柴の、広い広い庭園に変わっていた。柴に敷かれた厚い上敷きのい草の香りがして、その上に敷かれた緋毛氈に正座して、茶箱から道具を出してるタカ姉の横顔は20代の頃に戻っていた。緑一色の中、緋毛氈に座る鶯色の、見え隠れする白の一つ紋が妙に鮮やかに、裾からのぞく足袋の白さが艶めかしく感じた。襟足を上にまとめて、ウナジに掛かった産毛のような後れ毛が若々しく、若い日々のそれであって白髪ではなかった。

緋毛氈に出された茶を飲んで碗を置くと、前にいたネエはいつの間にか大きな寿司湯呑で、風炉で人肌燗にした茶碗酒を飲んでる。僕は飲めないのに、一升瓶から天目茶碗になみなみと注いで、強引に勧めてくる。

目が覚めて何が起きたのか考えたが、長い夢であったのに、そのくらいしか思い出せない。ということを書きながらも、記憶が薄らいでいく。書かなければ、すべて消えてしまうだろう。

ずいぶん長いこと会っていなかったのに、許嫁でもなく、付き合ってもいなかったのに・・・。嫌な夢をみた、というのだろうか。タカ子の裸って、夢の中だけど初めて見た。艶やかな真っ白な石像のようでもあり、柔らかそうで温かそうでキレイだった。夢の中でも・・・、なんでこんな変な夢などみたのだろうか。

どうしたのだろうか。この歳になっても、まだ煩悩が湧くのだろうか。夢で見たことなど、しだいに薄れた記憶になるものなのに。小屋で見たタカ姉の体だけが、妙にリアルなものとして、時間と共により鮮明なものになり、いつまでも記憶に残りそうだ。

つい最近に会う機会があり、今度一緒に温泉旅行に、混浴温泉などに行こうよ、などと言われたので、こんな夢をみたのか。困ったものだ。夢だけで終わって欲しい。


夢ではないのに、どうしても思い出せない人がいる。少し長い髪のポニーテールや、ソッと後ろに来て膝カックンをして、飛びついて細い腕でヘッドロック、外そうとして押さえた細いくびれた腰、石鹸に似た爽やかな香り、そんなたわい無い事を思い出せるのに、名前も顔も思い出せない、高校の時の一年先輩。

喉に刺さった骨というのか、こんなもどかしさのまま終わってしまうのだろうか。現実なのか夢なのかも、しだいに解らなくなってしまった人のことなのだが。歳を取ると、更に懐かしく思い出されてくる。

毎月通っていたのに、それも途絶えて半世紀も経つと、思い出そうとしても墓の位置さえ思い浮かばなくなってしまった。いつか、ズッとズッと先に逢うことが出来ても、もう分からないのかな。それで良いのかもしれない。

もし叶えられるなら、もう一度あの時に戻りたい。若かったあの、生涯でもっとも大事な輝いていた頃に、例え一瞬でも戻りたい。夢の中でもいい、もう一度逢って顔を見せて欲しい。もう、どう頑張っても二度と逢うことが出来なくなったからこそ、懐かしく愛おしく思うのだろう。


賽の神 ねもころ合いて 村はずれ ・・・なんて


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