出版企画「はじめに」公開します。
はじめに
私はいま、26才になりました。
普段は市役所でアルバイトをしながら、休日はカフェを開いたり、子どもたちの学びの場づくりとしてフリースクールをやったりしています。
この本を書いた経緯として、私は小学校1年生から学校に行っていなかったことがあります。その後も長く、学校という空間から遠ざかって生きてきました。家でひきこもってゲームをしたり、長い一人の時間を使って自分の好きなことをしたり、フリースクールに通ってみたりしていました。
学校に行っていないと、
「今日は学校どうしたん?」
「学校は行かなあかんよ」
「なんで学校行ってないの?」
近所の人や周りの大人に声をかけられることが増え、学校に行くことがつらかった自分にさらに追い詰められるようでした。
「学校=行かなければならない」⇒「自分=行くことができていない」⇒「自分はダメだ」といった考えが、ぐるぐると回っているような感じでした。 不登校という言葉がそもそもなく、学校に行くことが当たり前だった時代の人からしたら、「学校に行かないなんて甘え」で「親不孝」だ、と思われていたと思いますし、実際にそう言われたこともありました。
「なんで学校行ってないの?」などといった言葉がけをする人の多くは、悪意を持っていたり追い詰めようと思っていたりするわけではなくて、将来への心配といった親心で言ってくれているのだと、今から考えるとそう思います。
大人側の思いも今ならわかりますが、当時の自分として言うとできれば「そっとしておいてほしかった」と思います。
不登校になった当初(小学校低学年ごろ)はなんで学校に行けないのか自分でもわからず、周りの大人にもうまく説明できず、自分と向き合って葛藤していた時期でした。
その当時は周りからの言葉がけを親切だと理解できずに、ただ追い詰められているのだと、余計に苦しくなるばかりでした。
日本にはいま、たくさんの学校に行っていない子どもたちがいます。多くの子どもたちはほとんどの時間を家で、一人あるいは家族と過ごしているのではないかと思います。そんな中で、学校に行っている他の子どもたちと自分を比べてしんどくなってしまったり、将来に不安を抱えてしまったりしていることが多いのではないかと想像しています。
そのような状況の下、私は不登校を経験した一人の人として、自分のこれまでのことや、現在のこと、これからのについて考えていることを表現してみたいと思いました。
不登校で悩んでいる人は子どもだけではなく、親や学校の先生も同じように悩みがあるのではないかと思います。この本を読んでいる人は、大人の方が多いと思います。目の前の子どもたちにどのように関わって行ったら良いか、という疑問を持っている人が居ると思います。
はじめに私が考えていることの一つとしてここに記しておくと、他人のことを変えられる人は少ないということです。それならば、自分自身を変えること、それによって周りの人にも影響を与えて、結果的に他人の変化につながるのではないかと考えています。この本を読みながら、自分自身と向き合っていける時間を作ってもらえたらなぁと願っています。
私自身も、書くことで自分自身を見つめながら、またこれからの変化につなげていきたいと思っています。みなさんと一緒に、自分の中の声を聴いていく時間にしたいと思います。
世界では今、さまざまなところで人々が争い合っています。人と人との争い、ウィルスと人との戦い。一人ひとりが自由に生きられる社会を、天下泰平、万民安樂を奈良・吉野山から祈っています。
令和4年3月21日 春分 宇陀直紀
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