黄色いポッドキャスト 別館

倉本拓(https://twitter.com/jz_ooph)。友人たちと「黄色いポ…

黄色いポッドキャスト 別館

倉本拓(https://twitter.com/jz_ooph)。友人たちと「黄色いポッドキャスト」配信中。https://open.spotify.com/show/0AiiFhRQbtur50J1Ij1qKu?si=8efef17629b9412c

最近の記事

1月2日(火)

 『Renaissance: A Film by Beyonce』(東和ピクチャーズ)。コンサートフィルムの冒頭、自身を支えてきた忠実なファンたちへの想いをラブレターを読みあげるように二曲続けて歌ったあとの記憶が正直言ってぼんやりしている。それは、ビヨンセによるメタリックなメタモルフォーゼの夢の記録であり、生命の再生の祝祭であり、自作自演による世界改変の試みである。とうの昔に神が殺された現代に神になることを決して恐れない彼女が不当にも楽園を追放された持たざる者たちを祝福すると

    • 中原昌也著『あらゆる場所に花束が…』(新潮社)

       不幸にも一九世紀帝政ロシアに生を享けた貧乏貴族の次男坊である誇大妄想を抱えた半ば路上生活者の狂人が書き殴るように小説を書いたように、羽田空港で肉体労働に従事しながらジーンズのポケットにウィリアム・フォークナーの文庫本を突っ込んだ地方出身の大柄な青年もペラペラの集計用紙に筆圧の強い丸文字で書き殴るように小説を書いた。  ここで私が強調したいことは、中原昌也も同じく書き殴るように小説を書いているように読めることと、フョードル・ドストエフスキーと中上健次の両者よりも中原昌也のほう

      • 7月31日(月)

        チャック・パラニューク著/池田真紀子訳『インヴェンション・オブ・サウンド』(早川書房)。「2023年はチャック・パラニューク・ルネッサンス」とか勝手にほざいておいてずっと積んでしまっていた待望の新刊。相変わらずどの階層に帰属するどのような身形の人間が何の処方箋ドラッグに依存しているかについてのピンポイントの正しい知識、guilty pleasureを抱えている変態たちへの作家自身の隠すことのないシンパシー、笑えない破滅願望と笑えない自己愛がシンクロした時に起こる奇跡的なカタ

        • 6月29日(木)

          『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』(ソニー・ピクチャーズエンターテイメント)。前作『スパイダーマン:スパイダーバース』の続編として公開された二部作のうちの前編にあたる本作は、アニメーション作品としてはおよそ他の作家が対抗することができない領域に到達している。2018年の時点で革新的発明と絶賛された前作のアニメーション表現の刷新を本作ではさらに推し進めており、映画の導入部分であるグウェンのドラム演奏シーンからしてそのクリエイティブの神髄が画面から洪水のような

          5月14日(日)

          登場人物としての幽霊という現象は映画において欠かすことのできない魅力的な一大要素なのだが、トッド・フィールド『TAR/ター』(GAGA)にも幽霊がたしかに登場する。深夜にひとりでに作動するメトロノームやジョギング中に雑木林から聞こえてくる女の悲鳴に戸惑いながらも、結果的には幻惑されるようして、ケイト・ブランシェット演じる傲慢ではあるがカリスマ性のある世界的指揮者リディア・ターは、窮地に陥り最終的にその地位を奪われる。その失脚の顛末を描くにあたって、この映画が確固たる単一のP

          4月27日(木)

          『ユーチューバー』(幻冬舎)。二度と訪れることがない時代に活躍した二度と現れないであろう才能であり、ある時期の彼の作家活動に限定して言うならば個人的にモストフェイバリットな小説家である村上龍の新作。実はここ三年くらい小説読みとしては村上龍のことしか考えていなかった。男性が抱える欲望や資本主義社会のスノッブな戯れを如何に肯定するかについてあの一流の文体で説得されたかったからだ。結論を言うと、近年自罰的内省的になっているヘテロセクシャル男性の犬も食わないちっぽけな自意識を

          4月12日(水)

          なにやら話題になっているらしいとの噂を聞きつけてぎりぎり劇場に駆けつけた、佐近圭太郎監督『わたしの見ている世界が全て』(Tokyo New Cinema)。郊外でうどん屋を営んできた一家の兄妹たちが母親の死後、なにやら長年関係に凝りの残ったままの次女の突然の帰宅によって、結婚の仲介やら自立の支援やらを巡って好き放題に振り回されるというという筋立て。とにかく、次女を演じる森田想が素晴らしいとしかいいようがない。まず何より、彼女はある種の正しさにおいて圧倒的な存在感を示している

          3月22日(水)

          『キラー・ビー(英題:Swarm)』(Amzon Prime Video)。以前からドナルド・グローヴァーがビヨンセに題材を求めた作品を製作しているらしいとハリウッド界隈で噂になっていたらしく、ついにリリースされたといった次第の本作。全7話からなるリミテッド・シリーズであるこの意欲作は所謂トキシック・ファンダムから這いずり出てきた孤独な黒人女性シリアルキラーの誕生とその顛末を描いている。プロデューサーのインタビューを読むと、これまで白人男性のみに与えられていた破壊衝動(『ブ

          3月5日(日)

          スティーヴン・スピルバーグ『フェイブルマンズ』(東宝東和)。ながらく特権的な作家であり続けてきた途方も無い彼のキャリアを証明する証拠を後出しジャンケンで提示するように甲斐甲斐しく、物語のラストで20世紀アメリカ映画の偉大さそのものに対面するスピルバーグ(と言っても差し支えないだろう)は、映画全編にわたって、わたしたちは皆芸術の神に愛された子どもなのだとあたかも芸術制作における才能の平等性を主張するかのようだ。それは、映画作家がただただ映画が巧いだけの理由による観客の愚かな錯覚

          2月6日(月)

          ルカ・グァダニーノ『ボーンズ アンド オール』(Warner Bros)。事前情報を考慮すると、グァダニーノの最新作であり現時点で最高傑作である『僕らのままで/WE ARE WHO WE ARE』(HBO)を超えることはおそらくないだろうと予想していたが、少女が抱える自身のカニバリズムへの逡巡を扱った本作は主題において『僕らのままで』との共通点も多く、形式においてもほぼ同じ手法を踏襲しており、たいへん興味深く観ることができた。アドレッセンスにおける少年少女たちの不安や葛藤を

          1月22日(日)

          『舞妓さんちのまかないさん』(Netflix)。小山愛子の漫画原作は未読。京都祇園の花街のような自己完結的な共同体を外側からジャッジする安直さはこのドラマには皆無で、ときおり挿入される血縁者・非血縁者をめぐるグロテスクなエピソードもかなりソフトなタッチで描かれておりその痛覚の無い鈍感な演出が作品のアクセシビリティにポジティブに貢献している。日本語で配信されるドラマとしては近年稀に見る収穫であると言えるし四条大橋近くで戯れる私服姿の無邪気な舞妓たちや馬鹿真面目そうな森崎ウィン

          1月12日(木)

          2022年の年間ベストリストに挙げる人も多かった『セヴェランス』(Apple TV+)。近代以降のポストモダン社会において一人の個人が家庭や職場や学校などでそれぞれ人格を使い分けるのは人間の社会生活の営みとして至極当然なのだが、もしその人格と人格の間に断絶(severance)を生じさせるテクノロジーがいわばワーク・ライフ・バランスの実践を目的とした健康グッズ(実際はロボトミー手術)のような軽いノリで発明されていたら?という話。断絶というアイデアについては似たような意味の