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中原昌也著『あらゆる場所に花束が…』(新潮社)

 不幸にも一九世紀帝政ロシアに生を享けた貧乏貴族の次男坊である誇大妄想を抱えた半ば路上生活者の狂人が書き殴るように小説を書いたように、羽田空港で肉体労働に従事しながらジーンズのポケットにウィリアム・フォークナーの文庫本を突っ込んだ地方出身の大柄な青年もペラペラの集計用紙に筆圧の強い丸文字で書き殴るように小説を書いた。
 ここで私が強調したいことは、中原昌也も同じく書き殴るように小説を書いているように読めることと、フョードル・ドストエフスキーと中上健次の両者よりも中原昌也のほうが偉大な小説家であるという到底受け入れ難く直観に反しているようにみえる端的な事実である。

 小説の出来不出来に構成力は無関係である。登場人物や「世界観」の設定に頭を悩まされるような度し難い凡庸さやそれを補う煩雑なストーリーボードの類は、小説には不要である。小説家はただ書き殴ればよい。さらに言えば、主題も必要ない。小説でしか味わうことができない言語のユニークな操作による一瞬の論理的飛躍と、それを見逃さずに書き付けることができるすこしの閃きがあればよい。小説は、単純かつ猥雑な言語芸術であって、トラウマと勝手に自称する個人的な体験を克服するために達成する手段でもなければ、ポストモダニズム研究者によるエッセイ調の自己啓発もどきでもない。

 ドストエフスキーと中上は、書き殴るように書くことで構成を放棄したが、少なくとも、その生涯にわたって固執するような主題を自身の小説のために探究し続けた。書くために、書き殴り続けるために、主題は変奏され、拡張され、伸縮と膨張が繰り返された。

 では、中原昌也の場合はどうなのか。彼の小説は純粋な音楽である。何も表象しない波動のようなクリック・ハウスあるいはフロウだけが最終的に耳に残るトラップ・ミュージックであると言ってもいい。人と人、人と物、物と物の間を通り抜けるだけの言語的なストリームだとも形容可能だろう。読者がその現れては消えていくストリームに触れた時にのみに成立する小説。ただし、その興奮は、受け手が意味や価値を与えた瞬間に、たちまち雲散霧消してしまうが。
 わざわざドストエフスキーや中上といった作家の名前を口に出すことで今日の小説の限界を語ることはいささか敗北主義的に聞こえるかもしれないが、中原昌也の小説が存在するかぎり、これは安易な敗北主義ではない。最高の小説家が最高の小説を現在も書いているからである。

 二〇〇一年に新潮社から上梓された『あらゆる場所に花束が…』を読んで感銘を受けた人は多いだろう。自分もその一人だった。当時は、二〇〇五年に出版された文庫版を、日課として毎晩必ず一回通しで読み終えてから眠っていた。
 中原の小説にはしばしば暴力描写が登場するが、実際はいささかも暴力的ではない。文章にはその暴力性は何も残らない。不快感もなければ爽快感もない。バケツに絶妙な強さの水流が注がれているだけである。読者はそれを眺めていればいいだけなのであって、お節介な解釈や分析をする余地はないだろう。バケツに水が注がれているだけなのだから。

 もちろん、ドストエフスキーや中上が構成を放棄して主題を追求し、独自の小説世界を構築したことは賞賛に値する。いちいち指摘するのも面倒だが、人間の忘れっぽさは時に度し難く、前提の共有ができなくなってしまいすぐに社会はコンセンサスを失って陳腐化するうえに、両者の小説家としての力量どころか作家の名前すら忘れてしまいがちなのだから、彼らの残した功績は何度指摘しても事足りない。だが、彼らは自らが作り上げた小説世界に過剰に自己同一化するきらいがあった。これは、小説が、あるいは狭義の「文学」が抱えてきた深刻な難問である。

 したがって、今日的な作家はジャンル小説という逃げ場をつくって自身の健康を維持することを選ぶか、文壇的な制度に自覚的にせよ無自覚的にせよ従属して誂え向きの仕事をするかの選択をする。処世術に長けた作家が名前だけを売り歩いて時に映画化などの原作利用契約の締結などで身銭を稼ぎ、新人賞を通過していないくせになぜか文芸誌で小説を連載していることになっている二流の流行作家が誕生する。結果的に、文壇は、ある種のサークル活動のようなものを続けながら、新しい読者や新しい作家を発掘し、搾取する。そして、そのサークル内で回覧されている小説をソーシャルメディア上にしか存在しない読者とやらは、粗雑な劣化物であるその小説群を粗雑な劣化物であると指摘せずに稚拙な一四〇字の技巧を駆使して賛美する。

 そんなことはどうでもよろしい。勝手にすればいい。じんわりエモくてじんわりエモい小説がそんなに好きなら、私はあなたたちには何も期待しない。私は中原昌也の新作が読めればそれでいい。

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