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時間の収縮性を考える

何か分からなかったり、知りたくなったらiPhoneで調べて直ぐに答えが分かる。
なんて便利な時代になったものだ。
今まで沢山の文献や知識人に教えを説いてもらい学んできたことが一瞬にして分かってしまうのだから。

でも、その余った時間はどこに行ってしまうのか。
人は退屈というものを避けようと、気晴らしをしてその余分に出来た時間を消費してしまう。
例えば、調べ物が完結したにも関わらず、何を期待するわけでもなくFacebookやinstagramのタイムラインにlikeをつけることに必死になったことで、せっかく生まれた時間がどこかへと消えてしまったことがあるように。
哲学者のハイデッカーは、この退屈を科学して「なんとなく退屈」という恐怖ともいえる状況(監獄に入れられた状況を想像してみてほしい。誰かに存在すらも認められず、ただ一人無の空間にいる状態を。恐怖の何ものでもない。)を逆説的に解釈して、そこには自由(自由選択)があると定義し、自らの決断という主体的な行為によって、その「なんとなく退屈」という状況を打開できると考えた。自由という言葉の成り立ちが自らに由る(よる)と書く意味からもそうだろう。そして、その決断というものは、行為や状況に意味を見出すこととも言い換えられる。これは人間だけに与えられた特権らしい。

これからの文化的なイノベーションを考えた時に、文化を行為の集合体と考えるとするならば、その行為自体が全く今までと異なる状態になることが文化的なイノベーションといえる。そして、その文化的なイノベーションのヒントに時間の収縮性があるのではないかと考えている。
話は最初に戻るが、iPhoneは先ほどの文化的なイノベーションの定義を考えた時に、人々の行為をiPhone登場前と後で一変させた。電車の中の人の所作を見てもらえれば歴然で、それ以前を思い出すことが困難なほどだ。では次の文化的なイノベーションはどこに起こってくるのだろうか。
iPhoneがコミュニケーションの時間を縮めることに一役買っているならば、次のベクトルは時間を伸ばすことにチャンスがあるように近年の動向を見て感じる。

ネスプレッソとハンドドリップコーヒー、既製品の大量生産とクラフト的な生産。

どちらが所作を伴う文化的なことかは歴然ではないだろうか。これからは時間を伸ばすという視点で物事を考えても面白いかもしれない。
そこに意味性を見出したい。退屈しないために。

時短的な誰でもすぐ出来ることに価値はなくなっていくだろう。きっと。

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