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おじいちゃんが教えてくれたこと

今後の私のnoteは週末or月曜日の更新となりそうです。

引き続きご愛顧頂ければ幸いです。


今日はおじいちゃんの話です。

佐藤恵一のプロレス(格闘技)熱はおじいちゃんからの遺伝だと思います。
幼稚園児の頃から両国国技館に相撲を観に連れて行ってもらい、枡席で目の前で毎場所観ておりました。

家ではおじいちゃんと相撲ごっこ
カレンダーは大相撲カレンダー
幼稚園児なのに国技館焼き鳥が大好き

こんな子でした。

当時の感情を思い出すとワクワクして国技館に行っていた記憶。
目の前で繰り広げられるデカい男同士のぶつかり合い。

序ノ口の取り組みは朝早くからやっていてそこから横綱の取り組みまで、本当丸一日居ました。
序ノ口の取り組みなんかはチケットの座席を無視して枡席の一番前、審判員の方達のすぐ後ろで観戦。(もう時効ということで。。)

ぶつかり合う音と、目の前に転がってくる力士の方達を観て、幼稚園児佐藤恵一ながら、リスペクトをしていたはずです。

私が幼稚園小学校低学年のとき、2000年より少し前の辺り、同級生では所謂戦隊モノ。
仮面ライダーやウルトラマンなどが流行っていました。
…まあ昔も今も流行ってますが。
日曜日の朝、テレビでやっていた記憶がありまして
学校でもみんなが話していました。

しかしながら、私自身、全く興味がなく。。。
今でも知識ゼロ。

だから友達少なかったのか……笑

その代わりに見ていた相撲(格闘技)。

話合いませんよね。笑
千秋楽の翌日に学校で昨日の取り組み観た?
なんて会話になるはずもなく笑

小学校のときはわんぱく相撲の大会にも参加していました。
当日の写真探したんですけど見つからず…見つかり次第何かSNSでアップします。

区の大会で小結になったのが最高順位かな?

負けて大泣きしてたみたいです。


まあ、
まさか私のために相撲を観せてくれていたものの…
まさか格闘技をやる側になるとは思ってもいなかったでしょうね。

おじいちゃんはもう亡くなって何年も経ちます。

それまでに教わったことはとても多くあります。

恵一は普通の仕事は就かない方がいい、と言われたこと。
一番鮮明に覚えています。

まあプロレスラーという職業が普通じゃない。
とは言いきりませんが、、

まあ普通ではないですね。笑
世間の人が普通に生きていて接することのない職だろうし、それを賛成するオトナは多くないはず。
※世間の普通と、佐藤家(母方のおじいちゃんで旧姓となり佐藤ではないですが…旧姓は伏せます)の普通をイコールだとは思ってません。

実際私もプロレスラーになるとなった時に賛成してくれたオトナはいません。多分。

逆にみんなが反対してくれたからこそ、練習生の時代を乗り越えてデビューが出来たと思います。

亡くなったあとは、おじいちゃんの近くにいた人たちから、おじいちゃんは恵一がレスラーになることは望んでないはずだと言われてきました。今も言われてます。笑

ただ私の中では、私が自分で選択したこの道を、応援してくれていると信じているし、レスラーとして生かせてくれているのはおじいちゃんのおかげだと思っています。

亡くなった当時は、正直悲しい感情が湧かなかったです。
悲しいって思ったらそれを受け入れることになってしまいそうで。

なんでこのタイトルどこのタイミングでこれらを記したかと言いますと、
とある芸人さんがYouTubeでおじいちゃんとの動画をアップしていたからです。笑

心残りがあります。もう30にもなって来週で31なので…
おじいちゃんと二人でお酒飲みながら話してみたかったなぁ
と。

その動画を見て昔からの思い出が自然と頭の中にバックしてきました。笑

今の佐藤恵一を見て、なんて言ってくれるだろうか。
どうしてもポジティブなことだろうと考えてしまう私の頭の中はまだまだ煩悩に溢れてる証拠ですね。



そんなことを思って乾杯。
同じ一月生まれ。誕生日おめでとう。
これからもよろしく。

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