少年のしりとり

扉が開き中から袋から米が流れ落ちるように人がホームへ降りていった。それが途絶えると今度は逆に中へと人が流れ込んでくる。
 先頭は4人の親子だった。まず乗り込んできたのは母親で、彼女はまだ歩けそうにもない赤子を抱え、さらにもはや荷物を載せる台車と化したベビーカーを押していた。それに続くのは父親で、彼の引くキャリーバッグには4歳ぐらいの息子がまたがっていた。
 彼らは乗降口の向かい側のドアに立った。キャリーバッグにはUSJのキャラがラッピングされたビニール袋がある。
 今日乗ったジェットコースターに比べると後ろにすっ飛んでいく車窓は彼には退屈だったらしく長男は母にしりとりをしようと言った。
 長男と母のやりとりが始まる。まずは長男のターン。
「輪っかの輪!」
 長男は足し算の答えをまだ知らないのかもしれない。
「んー、ワルイージ」
 母が言う。最近できたマリオエリアに今日行ったのだろう。彼女の頭の中の引き出しの割と取り出しやすいところにワルイージが仕舞われていたのだと思われた。
 さらに応酬は続く。すると長男の「き」から始まる言葉を言うターンになった。
 長男は少し考え顔を上げると言った。
「きんた‥」
 その瞬間付近の空気が凍りついたのを感じた。次の一言次第では悲劇が訪れることになると誰もが感じた。
 長男はおそらく幼稚園児。まだまだ直接的なそういう言葉で面白がれる年頃だ。それに彼はまだ人並みに羞恥心を感じられるほど成長していない。そしてその言葉を放った時の周りからの目とその中心に立たされる両親がどんな気持ちになるかを想像できそうにもない。今の彼にはただ一文字「ま」と言うのはわけないことだった。
 近くにいた誰もが彼の次の言葉に耳を傾けた。少なくとも私という人間一人は彼の言葉を待った。その気持ちは熱い視線となり彼に注がれる。この間1秒にも満たない時間であったが永遠にも感じられた。
 「きんた‥ろう」
 金太郎。それが彼の選んだ言葉だった。
 私は思わず胸を撫でおろした。彼が賢い子でよかった。彼の母か祖母が彼に絵本を読んでやってくれていて本当によかった。そして彼もそれを覚えていた。彼も頭にあの言葉が浮かんだかもしれないがその誘惑に勝つことができたのだ。彼にも人を思う気持ちがあった。
 私は安堵のため息をついた。もう何も心配することはない。彼が賢い子だということはわかった。私は何の関係もない子供に親心を感じた。
後ろではまだ親子のしりとりが続いている。しかし私の目は既に外の夜景に向けられていた。耳にはその声が自然に流れ込んでくる。
 長男。「め」のターン。
「めんたま」
 特に気にせず聞いていたがふと考え、彼の方を見た。彼はニコニコしながら母を見上げている。母は「ま」で始まる言葉を考えている。
 めんたま?何故目ではいけないのだ?一文字禁止縛りなのか?いや、そんなことはない。さっき彼自身が「輪」と言ったではないか。
 私は彼の意図を考えしばらくして一つの結論に辿り着いた。そうか、彼はやはり言いたかったのだ。あの言葉を。彼は「き」の時点でその言葉を思いついていた。だがこの場でそれを言うのら流石に恥ずかしい。そこで彼は考えた。分割することにより間接的にその言葉を言おうと。
 だから「き」のターンは金太郎で流した。そして次に「目」ではなく「めんたま」と余計とも言える「んたま」をつけることでまだ周りの人々の頭に引っかかっていた「金太郎」と「んた」を共通項として「金太郎」と「めんたま」を頭の中で繋げ合わさせたのだ。つまり彼は実際にその言葉を言わずともその言葉を言ってみせたのだ。
 私はここまで考えて笑った。彼はここまで考えて言ったのだろうか。いや、そうでない可能性の方が高いだろう。しかし万が一のことを思うと……。
 なるほど、本当に賢い男だ。名前も知らない少年よ。私は君の将来が楽しみだ。
 彼は私の視線に気づく様子もなくニコニコと母のターンが終わるのを待っていた。


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