私の受験体験記〜高校、大学受験から資格試験まで〜
今日のお題は、 #受験体験記 ということで、高校受験、大学受験、日商簿記検定、基本情報技術者試験、アマチュア無線技士の受験体験記を書いていこうと思います。
まずは高校受験。
親は都立に入って欲しかったみたいで、私も都立で入りたい高校を探したのですが、どうしても私立のブレザーを着て高校生活を送りたくなってしまったのです。
よく許してくれたものだなと。
本当に感謝しかないです。もっと親孝行しなきゃだめですね。
結果、制服がかっこいい都会の私立高校に単願で受験し、合格しました。
これはこれで、ある意味とても大きなターニングポイントですね。
僕はここの学友には、凄く刺激を受けました。
都会的なカッコ良さにもの凄い憧れました。
アルマーニのパーティーに行くような高校生。全然価値観が違います。
またその頃、NY発のクラブカルチャーというものが勃興しまして。
日本でもクラブというものが乱立しまして。
高校生ながらそんな危険な場所で夜遊びを知ってしまったのですね。
またそういう危険さがカッコいいみたいな。
ハコというハード面のみならず、音楽というソフト面でもハウスやアシッドジャズといったクラブに似合うかっこいい音楽ジャンルが生まれたりして、刺激的でしたね。
東京の田舎にいた少年は、東京のど真ん中のクールで、ヒップで、ちょっとデンジャーなカルチャーにすっかり染まり、大学どうするの?となったとき、まず初めに目指したのが、実は美大だったのです。
これも完全にテイ・トウワさんの影響です。
NYで先に売れて、日本に逆輸入された、という売れ方もカッコ良かったし、音楽のみならず、そのCDのジャケットまでハイセンスにまとめたテイ・トウワさんは私にとって憧れの人でした。
そのテイさんの出身校が、武蔵野美術大学だったのですね。
中学生時代には一年間ですが美術部にいて、デッサンなども経験していたので、高三の冬から、美大受験の予備校に通い始めました。
しかしながら、ムサビとタマビを受けてどちらも不合格。
私はさらに路頭に迷うことになります。
そう、この、高校卒業してから夏までの約半年間本当に何もしていなかったんです。
どうしようもないですよ。
HMVとかバージンメガストアのアルバイトをやりたくて応募して新宿のバージンメガストアのスタッフで採用が決定していたのだけれど、結局そこで働くに至っていないのですね。
どういう経緯があったのかは今となってはあまり記憶がないです。
で、突然そのプラプラしていた夏に早稲田大学に行こうと思い立つのです。
早稲田に行けば面白い奴がいる。
そういう根拠のない固定観念に完全にとらわれ、僕は早稲田大学を目指すことになります。
そんな中、書店で手に取った早稲田大学に関する本を読んで、さらにその思い込みに拍車がかかることになります。
政界、芸能界、スポーツ界といった、各会のそうそうたる著名人たちのワセダのOB一覧がこれでもかと列挙されている本でした。
とにかく早稲田に入ろうと、そこにしか僕の道は開かれないと、そういう思考にとらわれ、突然夏季講習から塾に通い始めました。
これも本当に親がよく許してくれたと思います。
夏期講習を終えて9月の早慶模試ではC判定だった。そんな僕が12月の早慶模試ではA判定をもらう位に学力がついていたのです。
勉強法は赤本を徹底的に解きまくるという方法でした。
赤本に書かれている合格者の体験談も本当に励みになりました。
僕と同じように、合格圏外から、合格を勝ち取った先輩達の体験談が、そこには綴られていました。
時代が時代なら、ビリギャルならぬビリオタとして話題になっていたかも知れません。
かくして早稲田大学を、結局英数の2科目と小論文に絞り、第一文学部と第二文学部を受験したのですが、この作戦が功を奏したのか、結果として第二文学部だけ合格したのです。
とにかく早稲田に入りたかった私としては充分過ぎる結果です。
合格発表者の受験番号が書かれたボードに自分の受験番号を見つけたときに湧き上がった感情は何とも言い表せないものです。
安堵感、達成感、開放感。
49歳の今に至るまで、あの瞬間のあの感覚はいつでも思い出せる強烈なシーンです。
ひょっとすると自分が今まで成し遂げた最高のことは早稲田大学第二文学部の合格だったのかもしれません。
学歴なんて関係ないっていう人も多いけど、学歴に助けられているなぁと感じるケースってやっぱりたくさんあります。
逆にいうと早稲田大学に入ったから、私はミュージシャンになれなかったのかもしれません。
そこは結果論でしかないので、何とも言えませんが、そんな気もします。
学歴による逆差別とでもいうのでしょうか、学歴がつくことで、その個人が、社会から求められるものも変わってくるという面は、あると思います。
やはり東大出てラーメン屋になるわけにはいかないんですね。
逆にミュージシャンになりたいんだったら高校出てからすぐにでもどんどん曲などを発表して世に出て行かなくてはいけない。そう思います。
僕は意外と大学に入ってから音楽サークルでのんびりとやってしまいました。
ハングリーさはそこでかなり失われたと思いますし、進路もどちらかと言うとミュージシャンを育てる側に進む人が多い人生のコースを選択したと今となっては思います。
漫画家を選ぶ編集者は、学歴を持ち、難関の入社試験を突破して、出版社に入った優秀な人たちです。
そういう形で、好きな事を、大きな企業という集団に守られて、生きることも選択できる切符を手にすることができる。
私自身、就活で真っ先に志願したのは、レコード会社でした。落ちましたが…。
逆に、国側からすると、適材適所の法則に則ると、学を修めた人の頭脳は、学を修めた人でないとできない仕事につかせたい。
結局、私も気付けば、頭脳労働と呼ばれる職種についています。
なので、良きにつけ悪につけ学歴はその人に一生ついて回るものかなと。
特に最終学歴ですね。
ま、そんな感じで、とんでもない思い込みドリブンのパワーでもって私大の雄、早稲田大学卒業というブランドを身に付けることになったわけです。
次に大学を出て社会人になると、今度は資格の世界が待ち受けているわけです。
資格の中で、1番取って良かったのはやはり基本情報技術者試験ですね。IT業界の普免といわれるだけのことはあります。いざ取ってみると、IT業界人としては、取ってない自分は思い出せない、という感じですね。
身分的に一ランク上がった感があるのと、勉強で得た知識が使えるんですよね。
というか、文系学部出身の自分は、この勉強で得た知識だけで業務を行っているといっても過言ではありません。
あとは、簿記検定も、情報処理と同じ位、じわじわと効いてくるかもしれません。
オフでは、投資などに興味を持ってきたタイミングで、決算書を読める、とか、オンでは、普段の社内業務でも、結局企業活動の基本は、簿記なわけで、さまざまなシーンで役に立ちます。
アマチュア無線、これは完全に趣味の資格ですが、2級を取ったことで楽しみの幅が広がりましたし、文系出身の私に工学の知識を与えてくれました。アマ無線の運用で1キロワットなんて出すつもりは全くないけれど、とても良い学習の機会として、気長にゆっくりと、一アマもチャレンジしていきたいと思います。
資格は思うがままに受けたらいいと思いますが、情報処理や簿記、フィナンシャルプランナーといった人気資格は、一般教養としての側面を持っていると思うので、どんな人でも受けてみる価値はあるかと思います。
受かったら嬉しいですし、ハクもつきますし、もし残念ながら落ちても、使える知識なら、充分得るものがあります。
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