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音声コンテンツのアーカイブについて思うこと

最初からいう。

ライブ感(双方向性)とながら聞き用としての面白さには決定的な差がある。これは絶対の自信を持っている。今まで楽しんだラジオ・ポッドキャスト・オーディブルやスマホに特化した配信サイトなどを聴きながらどんな種別ができるのだろうと考えた時に上の二つが本当に大きな分類としてあると感じているからだ。

上手く言語化できるか自信がないのだけれどそのためにもこうして書いていく。

まずライブ感とはなんであろうか。

まさしくコメントとそのリアクションのことである。
聞き手もそのコメント自体を楽しみに来ている。
コールアンドレスポンスというやつだ。
思っている以上にこれを期待するとそれがない時に期待はずれ感があるのだ。

ながら聞きコンテンツの方は

こちらはライブ感とは真逆。もはや耳しかコンテンツに向けていない状態で聞く。洗い物しながら、電車で、運転中、就寝前に目を閉じながら。状況は様々だが目も手ももそこに向けられない状況で聞いていることが多い。

ライブ配信とアーカイブ

ふたつを整理した上で何が言いたいかというとこのライブ感側のコンテンツって実はコメントだったりリアクションの方とセットで完成したコンテンツなんですよね。つまり目でも見てないとなかなか楽しめないんです。
そのコンテンツをアーカイブで楽しもうとした時に「うわー◯◯そのコメントわかりますー」なんて言おうもんなら耳でしか聞いていない人は(アーカイブに限らず)いやどのコメントだよ!ってなるんですよね。それに、プラットフォームにもよりますがコメントそのものがセットでアーカイブされないサービスの方が多いのではないのでしょうか?
そのため作り方そのものが完全に異なると思っています。

もう一点
アーカイブにおける聴きごこち・耳触りの重要性に関して。
これに関してはASMRなんていう聴くという部分に特化したコンテンツの誕生やYoutubeが出た後ニコニコの画質が貶されるように、そのものへの違和感の少なさはそのコンテンツの価値の大きな部分を占めるのだと思っています。
特にハプニングなどが許されにくいアーカイブ型のコンテンツにおいて、途切れる・音質が悪いなどというのはある種の怠慢にすら感じてしまうくらいです。美味しい料理も汚い箸では食べたく無いように受容器で感じるものというのは基本的には綺麗な状態で出さなければならないのである。
収録/わざわざ発信している という二つがそろった時に人は綺麗な音を勝手に期待してしまうのです。
例外として、今回は緊急録音であるだとか多忙な人が車の中で配信前提に始めているとかであれば人はそれを許容すると思います。もしくはよほど有益なコンテンツですね。

やっぱラジオがすごい

これらを考えた時にやはり優れていると思うのはラジオだ。こんだけ長い期間、というか楽しまれた歴史の長さで言えば映像よりも音声配信の方が長いのだ。知見は多く溜まっているに決まっている。
僕が思うラジオのいいところ、ラジオにあって今の音声コンテンツに無いところ、それは前に触れたふたつをクリアしているところだ。

改めてふれるとラジオはアーカイブされても楽しめる。
ライブ配信前提なのにだ。

それはまず一つに、コメント(おはがき/Mail/Fax)をきちんと丁寧に読み上げることで今どの話をしているのかがきちんとわかることだ。
「ラジオネーム ◯◯さんからのFaxです。」みたいな言葉から始まるフレーズはどなたでも想像がつくと思います。
その丁寧さがアーカイブされた時でも効きます。
二つ目にタイトルコール/コーナータイトルコールをきちんと何度も言うというのもあります。基本的にラジオは聞こうとして聞く人だけでなくながら聴きも前提であるため一瞬作業に集中しただけで放送に着いていけなくなることがあります。そんな時に適宜タイトルコールがあると「あぁ今そのコーナーね」と戻ってくることができます。また、音声コンテンツは再生されているが聞いてないみたいな状況が多くあります。再生したけど別のことに集中し続けているなどです。そんな時タイトルコールを聞いて「おっこのコーナーが聞きたかった」と耳を改めてコンテンツに向けることができるのです。今ライブ配信からアーカイブを考えているコンテンツにはこの二つの丁寧さが圧倒的に足りていないように思います。

双方向性の罠

3つ目は双方向性の罠です。
コメントにリアクションを取る系のコンテンツは用意したお話ができないことも多くなりがちです。きたコメントにお返事している間に時間が経ってしまうという等ですね。また、そのコメント自体が面白く無い時その配信も面白く無くなってしまうのです。【リスナーの質とでも言いましょうか】
そんな時にラジオではリスナーのリアクションはどんなふうになっているかというと

リスナーの投稿を
裏方のスタッフが選別して(しかも二重に)
渡されたスピーカーが然るべきタイミングで触れる

という3重チェックとタイミングの見計らいの果てに配信に乗っかるのである。もちろん採用されていないものはリスナーの目に触れることはない。

反面コメントタイプのライブ配信は配信者が触れないコメントも表で見えているため、「触れてもらえなかった感」を配信者自身にぶつけてしまったりや、コメントしないリスナーの目にもこんなにコメント読まないのかとなってしまったりするのである。
そして、何より面白くないコメントに触れないで済むといのがでかかったりもする。
この3重のチェックと丁寧さを経てライブ配信⇨アーカイブが成立しているのである。やはりラジオはすごい。

まとめると

ライブ配信をアーカイブにもして行きたいならそれ相応の喋り方をすべき
(それができないならそもそも別どりか編集を入れるべき。)

音声そのもの品質には可能な限りこだわるべき(アーカイブ型では内容以上に重要)
場合により発信内容よりボイトレ等の方が大事な可能性まであり

という感じです。

取り止めもなく書いてしまいましたが誰かの気づきにつながれば

お読みいただきありがとうございました。

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