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「今日の芸術」


本日は下書きにあったものを😉


今日は私の大好きなアーティストさんの話をする。
私はあいみょんが大好きなんだ^^

どの歌も大好きでしかたがないのだけど、
特に「今日の芸術」という曲はほぼ毎日聞く。
この曲をきっかけに岡本太郎さんの本も読み出した。

"良いことをした"と思えば それはもう優しさじゃない
あいみょん 「今日の芸術」 より

これについてずっと考えている事がある。



誰かがある出来事にたいして、
「そうするのが良い」、「そうしたい」と思い
自分のできる限りの想像力をつかって、
それに対して勝手に推測をして、うつした行動

があるとする。

それが「良いこと」であったり
「優しさ」であるかどうかは自分以外、
その行為の相手や、それを知った人によって、
あとから付け足されるものかも。しれない。

それが「良いこと」かどうかは、
自分は相手ではないから
本当にそうかはわからない。

「良いことをする」ことと「優しさ」がイコールだと
言い切れない。


だけど。相手に対して、
「これをすることで少しでも幸せが増えるのなら」
と言う気持ちで、何かをすることは素敵なことだ。


「良いこと」か「良いことじゃない」かなんて
曖昧なものだなぁ。

時にそれがすれ違ってしまうこともあるけれど、
その行動をしようと思った「動機」や、
受け取った時の「気持ち」はその人の大事なものだ。


自己満のようだけど、
誰だってどちらの立場になりうるし、
あげてばっかり、もらってばっかり、と思うのは
無意識で気がついていない部分があるかもしれないぞ
なんて思うし、それでいい、と私は思う。

"良いことをした"と思えば  それはもう優しさじゃない
さっきと同じ


自分が誰か(物事の場合もある)に何かをしたとして
それを自分自身であとから
「良いことしたな~」って思うことに対して、
それは違うよ、と主張しているわけではないのかも。



それが「良いこと」か「良いことじゃない」かは。
誰かが決めなきゃいけないものでもない。
だから「良いことしたなぁ」と思っていい。
それで自分に幸せが生まれるのならそれでいい。
だけど、それは相手と同じではないのかもしれない。
ということ。
相手がどう思うのかは、想像するしか方法がないから。
それだけのことだ。


ただ、どちらにも幸せがポッと生まれたのなら
こんなにも嬉しいことはないね。


見たもの全てにうなずいて
見たもの全てを批判せよ
あいみょん「今日の芸術」より


きっと、世の中には何億とおりの
ものの見方がある。ってことなんだな。

今の時点でわたしがこの歌から受けとったこと。
きっとまだまだ変化する。

ではまた✨

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