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私のインナーチャイルドを癒やすための記録として、子どもの頃の私にかけてあげたい言葉を書…

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私のインナーチャイルドを癒やすための記録として、子どもの頃の私にかけてあげたい言葉を書く場として始めました。 今は中2の息子が不登校になってからのことを書いています。(中1の3学期から不登校)

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不登校半年。私のメンタル。

行く当てのない気持ちがずっと心の中に彷徨い続け、ずっしりと重みを増していく。 息子が学校に行かなくなって半年になった。 「学校にいけなくて一番辛いのは本人」という言葉を聞き、そうか。そうだよね、と思う。私はどちらかというと、これまでずっと、ドンと構えていて「学校なんて行かなくてもどうにかなる、この時代さっさと稼ぐ方法を身につけさせたらいい」くらいに思っていた。 大好きなゲームにのめり込み、youtubeをやっている。フリースクールからもらったパソコンで、昼夜問わずやっている

    • きっとこの子は大丈夫だと思った出来事

      フリースクールの行事で、野外活動があった。 もともと、息子は野外活動は好きな方だった。 本当に久しぶりに、外で体を動かす活動をした。 親も手伝えたので、私も参加したが、息子は積極的に手伝いをし、とてもいい表情をしていた。 ああ、これがこの子の本来の笑顔だなと感じた。 ゲームに没頭しているときも楽しそうだしyoutubeを見ているときも楽しそうだ。ただ、質が違う。心から楽しんでいるように見えた。 こういう体験をたくさんさせてやりたい。 そして、夫にも私と同じように感じて

      • 2回目の心療内科へ

        1ヶ月前、息子を心療内科に連れていった。 昨年の3月に予約。半年待ちだった。 予約したときは、あわよくばキャンセルできたらいいと思っていた。 でも、いつの間にかというか、あっという間というか。不登校になって半年が経っていた。 初回はとても丁寧に話を聞いてもらい、どうも「トラウマ的」なものがあるのではないかと言うことだった。 本人は「黒歴史」という表現で、自分の不登校の原因を医師に語った。 曖昧な表現を選ぶものの、彼のよいところでもあるコミュニケーション力で、しっかりと

        • 中2不登校息子の一日の過ごし方/動物の癒やし

          パターン1 昼型 9時 起床 ゲーム・Youtube 朝ご飯を食べる(私以外の家族がいない時は一緒に食事をする) ゲーム・Youtube 夜ご飯を食べる(自室で食べる) 深夜午前就寝 パターン2 夜型 18時起床 夜ご飯を食べる(自室で食べる) ゲーム・Youtube 早朝朝ご飯を食べる(自室で食べる) すぐに寝る 昼間はたまにフリースクールに行く。 フリースクールでは大きなスクリーンでゲームをする。 同世代のこと遊べる。 地域の方のボランティアで、お店の手伝いができる。

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        不登校半年。私のメンタル。

          子どもと夫の板挟み

          学校に行かなくなった息子に対し、夫はまだまだ受け入れられてないようだ。 息子のことをおもい、頭を悩ませているのが見て取れる。 その抱えているものが時々爆発して突然息子を叱ったりするので厄介だ。 そんな時、私が息子と夫の板挟みになる。 私はというと、もちろん学校に行かない息子のことを心配に思うのは当然だ。何より、健康面が心配だ。睡眠サイクルが乱れ食事も取らないこともあるしお風呂も2日に一回シャワーを浴びる程度。 運動もほとんどせず、ずっと横になってゲームをしているか机に座って

          子どもと夫の板挟み

          親の金を盗んで課金

          何があっても子どもを信じることができるか? 子どもは嘘をつく。 嘘をつく原因は親にあると平気で言う人もいる。しかし、その子が持って生まれた特性があることは、複数人の兄弟がいる我が家では大いに考えられる。なぜ子どものことを信じないのかと思う人もいるだろう。 しかし、 親であっても、数回にわたり嘘をつかれると「また嘘なのでは」という疑惑を持つことは仕方がない。 子どものことを親が信用しなくてどうするのかと、きれい事を言う人もいるだろう。しかし、どうやって信じたらいいのか分から

          親の金を盗んで課金

          「最後の日くらい、学校行こっかな~」

          今日、フリースクールへ送っていく車内で、息子が言った。 息子は中1の3学期になって、本格的に不登校になった。 行こっかな~?といいつつ、 「みんなになんて言われるかな」 とか 「『あいつ最後の日だけ来てなんなん』とか言われるんかな~」 って。 そういうことを気にしてるのね。なるほど。。。 ここまでを下書きしていたのは1年生の修了式の日のこと。 結局行かなかった。 そして今日は7月7日。 2年生の初日の始業式は、突然「学校に行く」といって自転車に乗って学校へいった。

          「最後の日くらい、学校行こっかな~」

          学校とのやり取りがストレスになってきた

          ストレスと言うより、ぶっちゃけ面倒だと感じている自分がいる。正直に。 実は先日、中学校から電話があった。 学年主任の先生からだ。 「フリースクールに出席したばあい、中学校でも出席扱いにするよう、校長に許可を得ましょうか?」 そう言ってくださるならばとお願いしたが・・・ フリースクールの代表から話を聞くと、どうも胸くそ悪かったようだ。 (胸くそ悪い、などとは言ってはいないが印象の話) その理由は、いわゆる「教科書の勉強」をしていないことをチクッと言われたからだ。勉強を

          学校とのやり取りがストレスになってきた

          不登校と親のメンタル

          お昼ご飯を用意することへの、うまく言えない感情は、少しラクになった。 そろそろ給食をストップしてもらおうか。 息子の一日は、寝る、ゲームをする、ライブ配信をする、食事をする、お風呂に入る、排泄する。 私はフリーランスで仕事をしており、ほどんど在宅ワークで、オンラインでの外との繋がりで仕事をしている。在宅といっても人と関わっている仕事なので、息子の送り迎えなどに自由に時間を割けるわけではない。 送迎には2往復で計2時間。 これに対しての焦りと、不安と、そして苛立ちもある。

          不登校と親のメンタル

          中1不登校の息子、フリースクールへ

          結局、中1の3学期はほとんど学校に行かなかった。 中学校の制服を着て登校している子を見るとこう思う。 「あ、そうか。息子と同じ年齢の子は、学校に行ってるんだった。」 完全に昼夜が逆転してきた息子は、早朝に起きてきて、朝ご飯を自分で用意して食べている。今日はハンバーグを作って食べていた。 生きていくためにはまず食べることだと思い何度かに渡って料理をすることを促してきた。 豚肉を焼いて、いつも作り置きしている甘ダレを使って作る「豚丼」の作り方を教えた。うまくできたら、嬉しそ

          中1不登校の息子、フリースクールへ

          不登校になって3週間経過

          中1の息子。 ピタッと学校に行かなくなり、お昼に起きてきて「こんにちは」とあいさつをすることが2週間あったが、最近は9時台に起きてくる日もある。 担任の先生からは毎日のように日課を知らせる電話が私の携帯にかかってきていた。そして家庭訪問をしたいと言われていたが、お断りしてきた。先生にも申し訳ない気持ちと、そして正直私は苦痛に思っていた。 なぜ苦痛に思っていたかと言うと、家庭訪問に来たら「明日は待ってるからな!」と先生は言うことが分かっていたからだ。 私は本人は学校に行く

          不登校になって3週間経過

          息子の不登校が始まった。

          ここに記録を残したいと思った。 息子が不登校ぎみ。 いつ「ぎみ」がなくなり、不登校と「認定」されるのだろうか。 今日で2週間目に入る。 私は息子に、学校に行けとは言わない。 でも、毎日のお昼ご飯には葛藤がある。 今日は「多分」学校に行かないだろうと思って最初からお昼を用意する気には到底なれない。お昼になって初めて、何か用意することになる。これがたまらなく苦痛だ。 今日は息子と一緒にランニングをし、終わった後の爽快感などはなく、ただモヤモヤした気持だけだ。 私は在宅で仕

          息子の不登校が始まった。

          誕生死

          5月2日。 昨日は私の双子の子どもたちの誕生日。 男女の双子だった。 生きていれば二十歳になる。 5日の子どもの日に火葬した。 死産と言わずに、誕生死と言っている。 私の子どもたちの遺骨は、私の家にあり、家族のそばにいる。 インナーチャイルドの癒やしではないけど、どこかに書き記しておきたくて。 この子達の誕生があったから、今の私がいる。 いつも見守っていてくれてありがとう。 陽成子と尊教へ。大好きだよ。

          誕生死

          支えになる言葉

          過去は変えられないが、 解釈を変えることはできる。 この言葉は私の支えになっている。 これは、裏を返せば自己欺瞞かもしれない。 過去に起こったことは起こったこととして、変えることはできないのだから 「仕方ない、どうしようもない」と受け流しているようにも思える。 でも、どんなに親を責めようと どんなに悔やもうと 過去は変わらない。 だから、自分の解釈を変え、前向きに生きるということ。 それを選択したい。

          支えになる言葉

          親のコネで教師になった

          古い友人しか知らないのだけど、私は2年間中学校の教師をしたことがある。 大学卒業前に母が言った。 「地元の中学校に常勤講師のコネがあるからね」 今思うと、母は、私が結婚する前にどうしても私を家に置いておきたかったのだ。 私は、自分のチカラで仕事を探さなかったことをとても後悔している。 これは自分の責任だから、母を恨むことはないけれど、 毒親の典型例かもしれないとも思う。 ただ、教師の経験は私の今の支えになっている部分はもちろんある。 でも、自分が教師だったことは、今

          親のコネで教師になった

          自己肯定感

          なるべく自己肯定感が高いと思うことにしているが、どうやらめちゃめちゃ低いということを認めざるを得ない。 父親は毒親。父親の父親も毒親。 母は太陽のように明るかったが、大人になった今思うのは、母は見栄ばかり張っていたような気がする。 父親に「馬鹿か?おまえは」と、いつも言われていた。 平手打ちされる時は「歯を食いしばれ!」と言われた。 言われた通りに歯を食いしばった。 ヤイトを据えられても、振り払うことはせずじっと耐えた。 あの頃の私に声をかけるなら。 「嫌なこ

          自己肯定感