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ここがすごいよ、映画『カラオケ行こ!』の脚本

4月12日からNetflixで映画『カラオケ行こ!』が配信されました!嬉しい!!映画をきっかけに漫画を読み、改めて感じる映画『カラオケ行こ!』の脚本のすごい!と思う部分を個人的な備忘録としてまとめました。(映画、原作どちらも見ていないと意味のわからない記事です)

書いている人は、数ヶ月前から脚本を学び始めた野木さんのファンです。シナリオブックのインタビューも踏まえて、脚本の意図を予測しています。また、漫画「カラオケ行こ!」を映画化するうえでの脚本の素晴らしさを紹介しますが、原作を下げる意図はありません(原作は原作で大好きです)。

モノローグ・ナレーションなし!

原作は、主人公岡聡実くんのナレーションをもとに進行していきますが、映画では全カット。原作は、高校3年生の聡実くんが卒業文集に書くために、過去を振り返っているので、冷静な口調でナレーションが書かれています。

映像作品はナレーションがあると、登場人物の感情がわかりやすくなりすぎてしまう。ただでさえ思春期で自分の悩みを人に言える状況ではない聡実くんが、冷静な声で自分の気持ちを吐露するのはちょっと違和感がある。無い方が今回の映画の質感に合っていたと思います。

モノローグ・ナレーションを全カットしているので、声変わりに対する悩みをさまざまなシーンで仕込んでいく必要がありますが、そのバランスも絶妙でさすが…

狂児登場まで約5分

映像作品は、主人公の登場をもったいぶって、インパクトを残しましょうと言われます。『カラオケ行こ!』も原作に比べて、2人の登場がちょっともったいつけた感じになっていて、映画ならではの表現で大好きです。

まず雨に濡れた狂児の背中、そのあとに合唱コンクール中の聡実くんが映ります。聡実くんが映るまでも、先にももちゃん先生、コーチの松原さん、副部長の中川さん、和田くんを映してから、聡実くんが登場。ここまでで2分15秒!

そのあとに合唱部での会話を挟んで狂児が登場しますが、そこまでで4分50秒!登場するまでに雨や雷などのト書きもあり、絵的にも魅せる登場で、聡実くんにとってどれだけ衝撃的な出会いかが表現されています。

自分から名乗らない聡実くん

映画では、原作に比べて狂児と聡実くんの距離が縮まるのに少し時間がかかっているのも好き。実写というリアルに落とし込むうえで、聡実くんが自分からヤクザに名乗り、すぐ車に乗っちゃうのは違和感があるという判断でしょう。

徐々に距離を縮めるために、再会するための仕掛けを作らないといけないし、聡実くんが歌を教えるようになる理由を作らないといけないけど、そのどちらもきっかけの作り方が上手だなと思います。

傘という原作表紙で印象的な小道具を使いつつ、あとから出てくるお父さんの謎センスにも説得力を出して、再会のきっかけを作る。

聡実くんがあしらうために渡した冊子を読み込んでくるなど、狂児が聡実くんを頼りにしていることがわかるから、聡実くんは狂児の面倒を見るようになるという自然な流れが作られています。

舞台挨拶で聡実くんを演じた齋藤潤くんが聡実くんをA型と言ってましたが、映画の慎重な距離の縮め方を踏まえるとA型と感じてもおかしくないのかも。原作の聡実くんは迂闊&勢いの人間なのでO型で納得。

カラオケ教えるようになるまで約23分と音叉初登場

自分から名乗らない聡実くんと同じく、カラオケを教えるようになるまでも割と時間がかかっています。

聡実くんが冊子を渡してあしらおうとしたら、その冊子を読み込み、わからないところがあると頼ってくる狂児。合唱だからカラオケの役に立たないと言った後の狂児の落ち込みを見て、適当にあしらおうとしてなんか悪かったかな…という謎の罪悪感が聡実くんに生まれるから、カラオケに付き合ってあげるようになるわけです。聡実くん優しいね。

ここで映画オリジナルの小道具として音叉が登場します。合唱部部長として聡実くんが持っていても自然で、最後の方では事故ったのが狂児だと聡実くんに思わせる大切な小道具。

事故の現場検証で、車の持ち主から被害者を割り出すのはあんまり現実的ではないという判断からなのか(この辺りもリアリティーを出す努力なのかなと)、映画の聡実くんはバスの窓越しに狂児が事故ったと判断しています。見た目だけで事故ったのが狂児なのではと思わせるための音叉ですね。

愛とは与えるもの

映画では、ももちゃんの愛やで!から始まり、愛というキーワードが頻出します。愛は与えるものという栗山くんの言葉を受けて、聡実くんは鮭の皮のやりとりを見て両親の間の愛を実感する。

愛とは与えるものであるならば、最後のソプラノを狂児に捧げたことは愛を与えたことになるのか? 話の流れ上、わずかに示唆されてはいるけども、映画の聡実くん自身にその自覚はないのだろうと、私は認識しています。

映画は聡実くんの声変わりに対する心情変化がとても丁寧に描かれていて、狂児のおかげで声変わりに向き合えるようになった過程が見えます。その恩義からソプラノを捧げたととも捉えられる。

愛なのか恩なのかが絶妙なバランスで成り立っていることで、原作での2人の関係性を保ちつつ、青春物語へと落とし込めていると思います。

聡実くんの声変わりに対する悩み

映画はモノローグ全カットしているので、他のシーンで聡実くんが声変わりに悩んでいることを描写していく必要があります。その描写の重ね方が抜群に上手い!

まず冒頭で「僕のソプラノがあかんかったんちゃう」というセリフでジャブを打ち、中盤でちゃんと歌ってください!と怒る和田(ここの合唱シーンの聡実くんは、冒頭の合唱シーンに比べて明らかに口が開いていない)、松原コーチとももちゃん先生の会話、喉仏を触る聡実くんと、聡実くんが声変わりに悩んでると言わなくても、全部伝わる描写で、徐々にその強度が増す構成になっています。

原作では、聡実くんの声変わりがまだなことに狂児が言及するシーンがあったり、一人で悩みながら歌の練習をする聡実くんが出てきますが、聡実くんの悩みを示す上であまりに直接的すぎるので、こういうシーンをカットしたのもいい判断だなと、個人的に思います。

粗忽なももちゃん先生

松原コーチがももちゃん先生に聡実くんが声変わりに悩んでいることを伝えたうえで、ももちゃん先生はソリ候補として中川さん、聡実くん、和田くんを呼び出します。悩んでいることがわかっている上で聡実くんと一緒に代わりの和田くんを呼んじゃうのは、ももちゃん先生の粗忽さがわかりやすく出ていますね。ここで聡実くんは自分の悩みに対して、他者からの目線も意識しとどめを刺されてしまう…

原作では割と序盤に先生からソリ候補の話が出ていて、聡実くんが声変わりに悩んでいることをわからせるシーンの一つとして登場します。映画では、ももちゃんの粗忽さという人間性を表現しつつ、聡実くんの悩みに拍車をかける形で中盤に持ってくるのが上手い。

ちなみにシナリオブックのインタビューによると、合唱部をどれくらいの強さに設定するか悩んだらしく。強豪すぎると声変わりはケアしてもらえている、弱いと声変わりであんなに悩まないだろうということで、若干粗忽な副顧問というキャラクターが誕生したそうです。

合唱の代わりはいるけど…

合唱では自分の代わりがいることを突きつけられ、狂児へのカラオケ指導ではヤクザに囲まれる聡実くん。怖い思いをして、切られた小指も見てしまい、もう無理です!と言ってしまいます。怖い思いをするのを2段階でみせているもの良い!

その後、映画見る部で時間を過ごす聡実くん。このときの栗山くんの「行かんでええの?」「どっち?」のセリフのやり取りが秀逸。

栗山くんは当然のように、合唱部の練習に行かなくていいのかと聞いているんですが、聡実くんは「どっち?」と聞き返す。聡実くんにとって狂児とのカラオケも行かなくてはいけないものになりつつあるんですよね。

そして音叉を買ったという狂児からの連絡。代わりがいる合唱部とは違って、狂児へのカラオケ指導は代わりがいない、そして狂児は自分を頼っている。この時、狂児は聡実くんにとって自尊心を満たしてくれる存在であり、声変わりから逃げるための場所になっている。この感情に突き動かされるから「狂児さんだけやったら、続けてもええよ」につながるわけです。

原作で、「狂児さんだけなら大丈夫です」につながるきっかけは、狂児が苺を買ってくれたことです。ずっと無理やりカラオケに連れ回され、校外学習の日も拉致られたのに、急にお詫びとお礼をされて心が動いてしまう。原作の聡実くんはお人よしだなあ。

「狂児さんにだけならカラオケレッスンをしてもいい」という感情が、原作の場合は聡実くんの狂児に対する目線が変化するから生まれているのに比べて、映画の場合は聡実くんの内面の変化によって起こるものになっている。

映画では、聡実くんの内面の変化がより詳細に描かれているから、不思議な青春感が醸し出されているのかなと思います。

紅英語歌詞の和訳

個人的に映画のなかで最高の脚色だと感じている紅英語歌詞の和訳。

正直、紅って往年の名曲すぎて、歌詞の意味を深く考えて聞いている人は少ないんじゃないかと思っています(ドンピシャ世代な方とか別にして)。個人的にも歴史に名を残す名曲すぎて、一種の記号のように感じてしまっていました。

英語歌詞を和訳したことによって、歌詞の意味を見る側に深く植え付け、ラストシーンの聡実くんの紅の意味に深さを出していると感じます。

役者と原作に対して誠実なラストシーン

映画は原作とラストシーンが大きく違います。シナリオブックのインタビューにもありますが、実年齢15歳だった齋藤潤くんが高3を演じるのは無理がある。だから原作の空港シーンは描かない。とはいえ、狂児の聡実という刺青は描かないのは違うということで、3年後という設定がしっかり出てくる(このあたりもシナリオブックで言及されています)。

役者が物理的にできないことはやらないけど、原作の大事な部分は描く。役者と原作に誠実な脚色だなと感じます。原作に忠実なことが誠実なわけではないんですよね。

まとめ : 野木さんってすごい

ダラダラと長く書きましたが、まとめると以下の4点!

  • モノローグがなくても声変わりに悩んでいることが分かるセリフとシーンの仕込みがすごい

  • 聡実くんの感情変化をよりわかりやすくするべく、原作要素の順番の入れ替えが的確ですごい

  • 聡実くんの感情変化やストーリー展開を後押しするための設定や小道具の追加がすごい。

  • 聡実くんと狂児の距離の縮め方や合唱部の状況など、リアルさを追求した調整がすごい。

『カラオケ行こ!』って、野木さんにとって実写では『逃げ恥』ぶりの原作あり作品なんですよね。元々、小説や漫画の脚色に定評のある脚本家さんで、本当に原作の解釈と要素の付け足しが抜群に上手い。

ドラマは、登場人物に感情が生まれ、その感情に動かされて次の行動をするから、シーンが生まれていきます。原作がある場合は登場人物の行動が決まっているので、どうすればそこに感情面での納得感を生むことができるかを考えるを必要があるのかなと思っています。野木さんは、感情が動いたことがわかるシーンの作り方、小道具や伏線などの仕掛けの作り方が本当に上手なんですよね…。登場人物の感情変化を整理しながら、脚本を書かれているのだろうか。

『カラオケ行こ!』でも、聡実くんがなぜ狂児に歌の指導をするようになるのか、最後に紅を捧げるのか、時系列を追って聡実くんの感情の変化が説明できるようになっている。そしてその感情変化が、対狂児というよりも、声変わりや自分の内面に向いているので、原作以上に青春感があるなと感じます。

原作の良さを損なわずに、青春映画へと再構築した最高の脚本…

シナリオブックのインタビューを参考に取り上げた箇所もあるので、ぜひシナリオブックを読んでください!

ドラマ用サブスク代にします!