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沖縄慰霊の日、安倍首相あいさつへの違和感

2019年6月23日、沖縄全戦没者追悼式当日の首相官邸のSNSに、次のような文章がアップされた。

「沖縄戦から七十四年。沖縄における二十万人もの尊い犠牲の上に、今日、私たちが享受する平和と繁栄があります。
戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この誓いは令和の時代においても決して変わることはありません。平和で、希望に満ち溢れる新たな時代を創り上げていく。そのことに不断の努力を重ねていくことを、改めて、御霊にお誓いしました。」

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これは追悼式での安倍首相のあいさつの中の一節を抜き出したものでもあるが、その中の「沖縄における二十万人もの尊い犠牲の上に、今日、私たちが享受する平和と繁栄があります」という一文に何か違和感を感じ、そこで少し考えてみた。

※首相あいさつ全文
https://ryukyushimpo.jp/movie/entry-941603.html

まず、「尊い犠牲」という言葉がよくわからない。
犠牲というものの中に「尊い犠牲」と「尊くない犠牲」というものがあるのだろうか。
「尊い犠牲」というものがあるとすれば、それはどういうものなのだろうかと考える。

なんとなく思いつくのは、「ある崇高な目的のため自ら命を捧げ尽くすも、達成できず亡くなった」というもの。
これだと「尊い犠牲」という表現が成り立つような気もしなくない。

この場合の目的とは、戦争での勝利で、命を捧げ尽くした相手は大日本帝国であろうから、つまり、「尊い犠牲」というのは「お国のために自ら命を捧げ亡くなった」ということなのだろう。

しかし、沖縄戦で亡くなったのは、そうでない者の方が多いのではなかろうか。
自ら志願して戦った軍人は一握りで、犠牲者の多くは、国に徴集された単なる一般国民であった兵士や、敵の攻撃にさらされた現地の民間人だったはずだ。また、その中には投降することを許されず命令されて、或いは凌辱されることを恐れて自決した人たちもいる。

そういう人たちを、「国のために命を捧げた」と一括りにすることに自分は抵抗を感じる。

自分は、沖縄戦に限らず戦争の犠牲者というのは、国が起こした戦争に巻き込まれた被害者だという認識が強い。
もちろん、当時と今とでは感覚が違うだろう。当時の国民にとっては国のために(或いは天皇のために)尽くすというのが当たり前だったのかもしれない。
しかし、それは国民が主権を持たず天皇に仕える臣民であった大日本帝国時代のもので、国民が主権を有する民主主義国家である現在の日本国における感覚とは異なるものだ。

「尊い犠牲」という言葉の中には、「お国のために命を捧げ尽くす」という大日本帝国時代の意識、感覚というものが混同しているような感じがするので、自分は違和感を持つのかもしれない。
(これは、自分が以前から持っていた、靖国参拝などで「お国のために死んでいった英霊に感謝する」ということに対する違和感にも通じるように思う。)
国が起こした戦争に国民を巻き込み、多くの犠牲者を出したことに対する反省や批判の視点があれば、「尊い犠牲」という表現は出ないのではないだろうか。

また、そのあとに続く「尊い犠牲の上に、今日、私たちが享受する平和と繁栄がある」という繋がりも、どこかおかしいように感じられる。

単純に読めば、「沖縄における犠牲があったからこそ、そのおかげで今日の平和と繁栄がある」という意味にとれる。

しかし、沖縄戦の直後に日本が戦争を止めて平和の道を目指した訳でもないし、そもそも、大日本帝国が起こした戦争の犠牲と、現在の日本国の平和と繁栄には直接の因果関係はない
強いて言えば、数多くの犠牲者を出した先の戦争というものを反省し、教訓として二度と戦争が起きないように努力した結果、ということは言えるのかもしれない。
もしそういう意味なのだとしたら、戦争についての反省なり批判なりの言葉を入れて繋げるべきではなかろうか。

そもそも、今回の追悼のあいさつ全体においても、大日本帝国が起こした先の戦争に対する反省や批判といったものが見られない。
これは、2015年の戦後70年を迎えての内閣総理大臣談話にも言えて、戦争によって引き起こされた惨禍については心を痛めたり悔やんだりするものの、その戦争を引き起こした大日本帝国政府や軍の過ちを認め、反省したり批判したりはしていない。

※内閣総理大臣談話(2015年8月14日)
https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

憲法もかわり国民主権となった現在の日本国は、同じ日本であっても、昔の大日本帝国とは様々な点で違うのだから、客観的に過去の過ちを反省し批判することは出来るはずなのだが、それをしようとしない現在の政権は、大日本帝国時代を引きずっていると言えるのではないか。
そこに、じぶんが感じる違和感の根本があり、戦前回帰などと揶揄される由縁があるのだろうと思った。