王として大切なのは、大衆の中にある最も根深い誰かの悲鳴の声を掬い上げ、対処することではないだろうか。それを純粋な気持ちで行える王ほど偉大で美しいと言える。応用すると、その悲鳴を聴くために、掬い上げる為に内閣総理大臣になったと言えなければならない。実際そうであるべきなのだと思う。