見出し画像

韓国大統領選挙の行方 ~なぜ大統領候補の配偶者が注目されるのか?~

※イメージは、世論調査の結果を伝えるMBNニュースのスクリーンショット。中央左側が李在明候補夫人のキム・ヘギョン氏、中央右側が尹錫悦候補夫人のキム・ゴニ氏。

 投票日までのこりわずかとなった韓国の大統領選挙。前回の記事では、今回の大統領選挙では好感度の低い二人の候補が接戦を演じているということについて触れた。現在どの世論調査においても、与党「共に民主党」李在明(イ・ジェミョン)候補と野党「国民の力」尹錫悦(ユン・ソギョル)候補の支持率の差がごくわずかという結果が出ている。しかし、いくつかの調査では尹錫悦が大きくリードしており、さらに1月初めごろまでは李在明が優勢であったことを考えると、情勢は尹錫悦にやや有利と見ることができる。

○李在明候補を悩ます「配偶者リスク」

 李在明の支持が低迷している理由については前回の記事でも触れたが、現在最も話題となっているのがキム・ヘギョン夫人を巡る疑惑だ(韓国は日本と違い夫婦別姓である)。
 キム・ヘギョン氏を巡る疑惑については、ハンギョレの記事「[大統領選挙イシューペーパー‐李在明] キム・ヘギョン氏の過剰儀典問題」がわかりやすく整理している。
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1030512.html

 内容を要約すると、李在明候補が京畿道(キョンギド)知事を務めていた時、キム・ヘギョン氏の私的な用事のために公的秘書がお使いをさせられ、さらに京畿道庁の法人カードが流用された、ということだ。この問題は昨年末に「国民の力」から指摘され、1月28日にはSBSやKBSなどのテレビ局がその証拠となるSNSでのやりとりを公開した。これらの報道によると、李在明候補が京畿道知事だったころ秘書室に所属していたAという人物は、その業務の90%以上がキム・ヘギョン氏に関連する雑用だったと主張する。具体的には、冷蔵庫の整理や洗濯物の折り畳み、食料品の買い出しなどなど。さらには、牛肉や寿司などの一部食料品を購入する際に道庁の法人カードが使われたというのだ。Aに直接指示したのは、当時京畿道庁の総務課にいたペ某という人物。ペ某は当初こうした疑惑について反論していたが、証拠が次々に公開されると一転事実であることを認めた。しかし、あくまで自身の判断で行ったことであり、キム・ヘギョン氏は知らなかったと主張している。一連の疑惑に対し、キム・ヘギョン氏は2月3日に声明を出して事実を一部認めた。その後も新たな疑惑が浮上すると、キム・ヘギョン氏は9日には記者会見を開き「わたしのいたらなさから生じたことについて、国民の皆様にもう一度謝罪いたします」と頭を下げた。
 大統領選の戦術を巡り「国民の力」内部での主導権争いがつづいた昨年末から今年初めの間、李在明は支持率で尹錫悦をリードしていた。ところがキム・ヘギョン氏を巡る疑惑が浮上すると状況は一変してしまったのである。

○「配偶者リスク」は尹錫悦も同じ
 現在やや優勢が伝えられる尹錫悦も「配偶者リスク」とは無縁ではない。

 尹錫悦の配偶者であるキム・ゴニ氏を巡る疑惑は、昨年からずっと指摘され続けている。最も話題になったのが経歴詐称だ。キム・ゴニ氏は過去に複数の大学で講師を務めているが、志願の際に提出した履歴書に複数の虚偽があったことが昨年12月に明らかになった。虚偽記載の例はハンギョレの「[大統領選挙イシューペーパー‐尹ソギョル] キム・ゴニ氏の虚偽経歴問題」に整理されているので、そのまま引用してみよう。
https://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/1024860.html

・韓国ゲーム産業協会企画チーム企画理事在職経歴:キム・ゴニ氏は2002年から3年間在職したと記載したが、該当する協会が設立したのは2004年。当時勤務していた職員たちはキム氏を見たことはないと証言する。

・ソウル国際漫画アニメーションフェスティバル大賞:キム・ゴニ氏が改名する前の「キム・ミョンシン」という名前で応募された作品そのものがないことが確認された。

・1995年美術世界大賞典優秀賞:229名の授賞者名簿の中から、現在の名前・改名前の名前ふたつとも見つけることができなかった。授賞時期を誤って記載した可能性もあるので1994年と1996年も確認したが名前はなかった。

・サムソン美術館企画展展示経歴:キム・ゴニ氏が展示したと記載した年はサムソン美術館でなくホアム美術館という名称であり、該当年度に企画展示が開催されたという事実もない。

 これ以外にもキム・ゴニ氏は様々な経歴詐称を行っていたことが明らかになっている。

 経歴詐称に関する報道がなされた直後、キム・ゴニ氏は「信じようが信じまいが、記憶にない」「良く見せようと欲を出しちゃったんだけど、罪と言えば罪」などと開き直ったような発言をおこない、さらに批判を浴びることになった。結局キム・ゴニ氏は12月26日に記者会見を開いて謝罪。大統領選への影響を最小限にとどめようとしたものと思われる。

 キム・ゴニ氏を巡る疑惑はこれだけでない。自動車代理店「ドイツモータース」の株価操作(相場操縦)に彼女が関与していたのではないかという疑惑が昨年から報道され続けており、現在検察が捜査中だ。尹錫悦側はキム・ゴニ氏が関与していない証拠として口座の取引内訳を公開したが、これは相場操縦が行われたとされる期間の一部にすぎないことがわかっている。

 このように両候補ともに「配偶者リスク」を抱えたまま選挙戦の最終局面に入ろうとしている。


○「配偶者リスク」が注目される理由
 今回の大統領選挙は最後の最後まで「配偶者リスク」の及ぼす影響を無視することができない。各世論調査の結果から明らかなとおり、候補者の配偶者を巡るイシューが選挙そのものに影響を与えると考える人が60%以上を占めているためだ。それはなぜだろうか。


 「カプチル」という言葉がある。「『カプ』は漢字で書くと甲乙丙の『甲』。つまり上位にあるものが、その地位を利用して横暴にふるまうことであり、古くから韓国の伝統社会に存在する言葉だ。今風の言葉でいえばパワハラ」だろうか」(伊東順子『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』、集英社新書)。「カプチル」の例として代表的なのが、日本のワイドショーでも大きく取り上げられた「ナッツリターン」だ。財閥の経営者一族が権力に物を言わせて部下や従業員に無理難題をふっかけ、もし反論でもしようものなら何倍もの報復措置をとる。ナッツリターン事件の顛末を見ればわかる通り、カプチルは一度公になれば社会全体から激しい批判を受けることになる。
 キム・ヘギョンの名前をインターネットで検索する時、「カプチル」が関連検索語として真っ先に上がってくる。いまだに目上の者や上司による「カプチル」が横行し、それに対する視線も厳しい韓国だからこそ、ファーストレディーになるかもしれない女性の振る舞いは厳しいチェックの対象となるし、大統領選の行方にも影響を及ぼしかねない。

 また日本のワイドショーで「たまねぎ男」と呼ばれた曺国(チョ・グック)元法務長官の例からもわかる通り、社会的地位の高い者が子どもの学歴や兵役に関して不正を働こうものならば、それこそ社会全体からバッシングを浴びることになる。どこの大学を出たかがその後の人生を大きく左右する韓国では、多くの親が子どもの受験競争に血眼になる。だからこそクリーンなイメージをもった曺国の娘が経歴詐称したことは当然批判の的となった。また、期間が短くなったとはいえ、韓国の男性は基本的に18カ月~21カ月を軍隊で過ごさなければならない。20代の貴重な時間を軍隊生活に費やすことになるのだから、なるべくなら兵役を免除されたいというのが若い男性たちの本音だろう。もし政治家や財閥の息子が不正を働いて兵役逃れをしようものなら、人々はやはり黙ってはいない。
 そんな社会において、「公正と常識」を掲げながら曺国に対する捜査を仕切った尹錫悦だからこそ、配偶者の経歴詐称や相場操縦疑惑は大きな不安材料だ。投票日まで残りわずかだが、今後事態がどのように動くのか目が離せない。

 「配偶者リスク」が大統領選の行方を左右する理由。それは韓国の有権者がスキャンダルに影響されやすいということを示しているのではない。配偶者や家族の振る舞いを通じて、候補者そのものが「公正と常識」を掲げるに値する道徳的な人物かどうかを見定めようとしていると言えるだろう。もっといえば、文在寅大統領が任期終盤まで比較的高い支持率を維持しているのも、道徳的な面を高く評価されているからなのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?