鎌倉殿の13人 第36回「武士の鑑」

まえがき

 前回時政に誤魔化されたとはいえ実朝が内容を確認しないまま、畠山重忠を謀反人とする下文に花押を書いてしまったことにより、重忠は謀反を犯したとして成敗されることになってしまいました。
 重忠を説得するために鎌倉を離れていた義時は戻ってからこの事実を知って憤りますが、一度鎌倉殿が認めた下文を覆す事は出来ないため、他の方法で重忠を救う方法を考えますが…

謀反人重忠

 時政は三浦義村と和田義盛に重保を捕えるよう指示しました。まともに重忠と戦えば相当な犠牲を出すことを懸念し、重保を人質として戦わずに重忠を降参させようと考えていましたが、義村は重保を捕える事に失敗し結局討ち取ってしまいました(義村は時政への報告の中でやらなければこちらがやられていたと言っていましたが、これまでも自分のライバルになりうる存在に対して容赦しない姿勢を見せていたので、重忠を戦わせる方向に仕向けた可能性も考えられます)
 また、時政は稲毛重成に命じて謀反人を討ち取ると称し鎌倉に滞在中の重保を由比ヶ浜におびき寄せるよう指示していました(実際は時政の指示によって稲毛重成が重保を鎌倉に呼び寄せた後に、誰が謀反人か知らせぬまま重保も含めた御家人を由比ヶ浜に向かわせ、三浦義村が取り囲んだとなっています)若干の違いはありますが、重成はただ忠実に指示を全うしただけなのに後でとばっちりを受ける事になってしまいました。

避けられぬ戦

 重忠は前回義時に受けたアドバイスに従い、鎌倉殿への釈明と起請文を提出するために少ない手勢で鎌倉に向かっていたのですが、途中で重保が討ち取られたという情報を受け二俣川の手前にある鶴ヶ峰に陣を敷いてしまいました。これで謀反の疑いは確実と見做され鎌倉から大軍を派遣した事になっていました。
 実際は謀反人となった事について重忠は知らず、時政の命で鎌倉へ呼び出されたのと同時に鎌倉からも大軍を発進し、二俣川にて対峙したとなっているのですが、本作の脚本では前回の所領問題で時政と重忠の関係はほぼ断絶した状態となっている為に時政の命に従う事は考えられず、まだ信頼関係のある義時のアドバイスで鎌倉に向かわせた事にしたと思われます。
 結果的には多勢に無勢で畠山勢は討ち取られるわけですが、お互い陣を敷いた後に和田義盛が最後の説得のため重忠のもとに訪れて会話する場面がありました(実際にはそんな出来事は無いまま戦闘となった模様)あえてこのシーンを入れたのは和田義盛の今後について関連するからだと思いますが、ネタバレにも繋がりそうなのでいずれ改めて書きたいと思います。
(この時重忠は「戦など誰がしたいと思うか!」と心の内を明かしましたがこの言葉を義盛はどのように受け止めたのでしょうか…)
 重忠は鎌倉軍の攻撃を読み切り戦いは長時間に及んだものの、流石に兵数の差は如何ともし難く、最終的に戦の経験の浅い泰時の陣に突入すると見せかけて義時を誘い込み1対1での決闘に持ち込みました。
 決闘は刀での打ち合いからの壮絶な殴り合いになったものの、幾戦の勇将である重忠に叶う訳も無く、馬乗り状態であわや討ち取られるという状況でしたが、トドメを刺さず満足した表情のまま馬に乗り悠々とその場を立ち去るという、無茶苦茶カッコいい去り方となりました(ここで義時を討ち取ったとしても時政へ一矢報いる事にもならず、親友でもある義時に全てを託す思いだったのではないかと思いました)

闇落ち義時

 重忠の最後は、手負いの状態で愛甲季隆の矢で討ち取られたと時房の報告で語られていました(愚管抄では自害したとの記載もありますが、こちらは著者の慈円が京にいて伝え聞いた話を残しただけなので鎌倉での出来事がどこまで正確に書かれているかは不明です)
 その後、義時は重忠の首を持ち鎌倉まで戻り、時政の前に差し出しました。そして、重忠には何の落ち度もなく、また自分が謀反人になったと聞いても所領に戻る事もせず己の誇りを貫き通し見事に散った武士の鏡に対し権力を持って討ち取るよう指示したのは時政であるとし、これからも執権を続けるのであれば首を検分するべきであると詰寄りましたが、たじろいだ時政は首を見ることもなくその場を立ち去りました(自分に非があることを承知しているので首を検分することが出来なかったのかもしれません)
 義時は時政には執権の資格がないと完全に見限り、大江広元らと図って執権の座から追い落とすための策略を実行し始めました。この時既に鎌倉内の時政の信頼は低くなっていましたが、更にとどめを刺すべく重忠を貶めた執権に対する疑いの目を逸らすためと称して稲毛重成に全ての罪を被せるよう時政に提案し、最初は乗り気では無かったものの自分に批判の目が向けられている事も自覚していたため結局受け入れてしまうのでした。
 重成は罪をなすりつけられた事に加え、釈明の機会すら与えられないまま三浦義村によって処刑されてしまいました(処刑される直前に義村が執権の命令だとその場にいた御家人に話した事で悪い噂が広まったと考えられます)これによって時政の支持は完全に失われました。
 重成は所領で蟄居状態となっていた所を時政に呼び出され、指示通りに重保を鎌倉に呼び出す役目を全うしただけだったので、もしかすると後で罪を擦り付ける為の捨て駒にされたのかもしれません

親子対立

 時政は重忠の領地を自ら配分するつもりでしたが(この時に、領地を配分した時の御家人の喜ぶ顔を見るのが嬉しいみたいな事をにこやかに話していましたが、以前にも書いた通り時政の本質は第1話の頃から変わっておらず、周りの状況の変化について来れないまま、りくに翻弄されてしまったと感じています)、尼御台の手によって領地配分するよう義時らは裏で工作していました。
 梶原景時の時と同じような時政に対する連判状を見せられた時政は怒りに震えますが、義時はあえて書状を破り捨て鎌倉殿に提出しない替わりに暫くの間大人しくするよう突きつけたのでした。
 これも以前に書いたと思いますが、本作の政子は政治に対してかなり控えたスタンスで描かれているのですが、どこまでこれを引っ張るのか凄く気になっています(これまで政子主導と見做されていた件について、新たな解釈で描かれる事になるかもしれず、今からワクワクしていたりします)
 さて、上記の策略によって権力を奪わる形となったりくと時政ですが、最後の場面でかなり怒りまくってましたし、最後の反撃で何かもう一波乱あるかもしれませんね。しかし、義時は重忠に事後を託されダークサイド全開状態になっていますので、どのような形で決着するか次回も楽しみにしたいと思います。

次回サブタイ考察

 予告のサブタイトルに「オンベレブンビンバ」と表示された直後からSNS界隈では何のことかと話題になっておりました(自分も気を取られてしまい次回予告後の紀行の内容が全然入ってきませんでした…)
その後、ググったりしたものの結局なんなのか分からず…
(外国語であるとか仏教に絡んだ造語であるとか見かけましたが確実な答えではなさそう)
 とりあえず来週の本編を見れば意味がわかるだろうと思いますので、今しばらく待ちたいと思います。
 それにしても次週北条家は一体どうなってしまうんでしょうかね…結果は大体分かってはいるものの、予告に和気あいあいとした場面もありましたので、展開が全く読めません…