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優先席がない社会

いつ以来の投稿かわかりませんが、おもしろそうな企画をやっていたので久々に書いてみようと思います。

「優先席がない社会」
初めてこの考え方を目にしたのは、小学校の道徳の教科書でした。

バスや電車に必ずある優先席。なぜそれがなくならなければいけないのか?あってもいい、むしろなくてはならないものではないのか。

当時道徳は押し付けがましい教科だと感じていてあまり好きになれませんでしたが、これは興味を持って読み進めたのを覚えています。

優先席とは、お年寄りや体の不自由なかた、妊婦さんが優先して座れる席です。でもよく考えてみてください。その裏に潜んでいる思考は、

そうした席を作らなければ、彼ら・彼女らに席を譲らない人がいる、ということなのではないでしょうか。

優先席だから譲る、優先席ではないから譲らない。こうした考えは本来ならおかしいでしょう。杖をつくお年寄りや立っているのが大変そうな妊婦さん。彼ら・彼女らに健常な人が席を譲るのは、まあ当たり前とまでは言いませんが、道徳的にはごく自然な行動と思われます。

もし全員が席を譲るべき人に自然と席を譲れる人ならば、きっと優先席は必要ありません。でもそれができない人がいるから、優先席というものを作り、席を使いたい人が使えるようにしている。
だから、本来なら、優先席がなくなる社会を目指していきたいよね、と。

道徳の教科書から顔を上げ、「ほーん」と思ったのを覚えています笑。

それから十数年経って今なのですが、どうしてこれを思い出したのかというと、最近電車に乗ったとき、ある人がそこが優先席だからという理由で座ることを躊躇っているのを見たからです。
まあ確かに、なんだかなあ、とは思いました。

優先席がない社会。実現されなくても、それに向かって一人一人が意識して行動することは、意義があると感じています。

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