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オタク文化はギャル文化を簒奪したのか?

ギャル論争あると思いますけど、「オタク文化の中で独自に発展してきたギャルというもののあり方」ってものを知らない人が多いと感じました。似た物で言うと「本物のメイド」と「オタク文化に登場するメイド」って全く違いますよね。でもオタク文化が「メイド」という概念を簒奪してるか?と言えば全くしておらず、オタク文化の中で独自に発展してきたメイドがあるってだけ。

「ギャル論争」が意外にどんどん大きな火種になってきているようです。そこで今回は、「オタク男は本当に『ギャル像』を都合いいようにゆがめたのか」という観点から私見を述べたいと思います。

…と思ったら、これを書き上げた時点で急激に沈静化してしまった。まあ、書いちゃったものはしょうがないんで、始めましょう。

「ギャルは男に媚びない」は、「第3波」の基準では正しいが、「第4波」の基準では正しくない

「そもそも『ギャル』とは第3波フェミニズムの象徴であり、男の願望に媚びないものとして生まれたものだ」

これは騒動の初期からフェミニズム側で言われていることですが、「第4波フェミニズム」がそのような指摘をすることに、私はとても違和感を覚えます。

そもそも第3波フェミニズムにおいては、良くも悪くも、敵対する「男」の像がしっかりしていたのです。それは、特に日本では、昭和のステレオタイプ的な「保守的頑固おやじ」でした。「フェミニズムの敵は『男』ではなく『家父長制』だ」という言説は、その名残という面があります。

その意味では「ギャル」は間違いなく、「伝統的性観念」へ対抗するものとして、「男に媚びない」ものであったと言えます。しかしそれは今の第4波フェミニズムで言われることとは異なる意義のものです。逆に言えば(個別的事象として、その「伝統的性観念」に与しない)「男に媚びる」ことは当時から普通にあり得たことと言えます。

かの悪名高きレイプサークル「スーパーフリー」にも、その活動を支えた女性集団として「ギャルズ」というグループがいました。彼女らは第4波の基準から言えば「名誉男性の中の名誉男性」でしょう。でも第3波の基準では明らかに「ギャル」に含まれます。

「コギャル」文化の衰退とその後の世代による再生産

ただもう一つ、この論争で語られていない事実があります。

そもそも「コギャル」的なギャル文化は、2000年代末期頃からファッションとしても衰退傾向にあり、2014年におけるギャル雑誌の相次ぐ休刊によって決定的となりました。

ここからは雑誌から離れ、ギャル文化そのものについて述べたいと思います。
現在の若い女性たちの文化で全般的に確認できるのは、一言でまとめれば保守化傾向です。10代の性体験率の低下、アイドルブーム、黒髪・清楚ブーム等、各所で保守化を指し示すかのような現象が見て取れます。この傾向はもう3、4年続いています。保守化した理由は、大きく分けて4つあります。
一つ目は経済要因です。
(中略)
ただ、そうしたことよりもやはり大きいのは文化的な要因です。ギャルのような派手な外見をすることが、若い人たちにはリスクだと捉えられているからです。
これは、やはり若者たちのコミュニケーションがさらに複雑化・繊細化した結果だと考えられます。「若者たちのコミュニケーションは希薄化している」などとしばしば言われますが、さまざまな調査を見てもそうした結果は見受けられないどころか、その逆の傾向をうかがわせています。もちろんこれはケータイの影響です。コミュニケーションの総量は携帯電話を持つことで格段に増え、さらにTwitter、Facebook、LINEとツールも増えてきました。
そうした環境ではさまざまな炎上リスクが顕在化しました。数年前に相次いだバカッター問題(飲酒運転などの犯罪告白ツイート)などは極端な例ですが、目立つことがすなわち社会的なリスクだと感受されている傾向があります。

一方でほぼ同じ時期に、オタク向けコンテンツの「ギャル文化」との接触も起こりました。例えば2010年にアニメ化された『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の高坂桐乃は、対外的には読者モデルをやっているようなギャルとして振る舞うキャラクターでした。その後も『おしえて!ギャル子ちゃん』、『はじめてのギャル』といった作品が出てきています。

またこの時期は、女性の二次元絵師あるいは消費者が急速に増えていった時期でもあります。炎上した大元の絵を描いたのも女性絵師でしたね。

ですから、「オタクがギャル文化を簒奪した」という単純なものではなく、「三次元での文化衰退を背景として、二次元への女性たちの流入と共に表象が持ち込まれ、“独自の発展”を遂げた」といったところが実際に起きたことと考えられます。

これは二次元世界において「再生産の時代」が始まったと言えなくもありません。つまり「どの時期、どの地域での流行」が二次元文化の中で再現されていてもおかしくはないのです。当然、スパッツやチョーカーが流行した時期や地域もあったのでしょう。しかしそれが「ギャル」の構成要件でないのは自明のことですし、だからといって「こんなのギャルじゃない」と決めつけることは誰にも許されることではありません。

とりわけ「フェミのギャル像こそ90年代的で古臭く、全くアップデートされていない」という指摘は反フェミ側の各所で出されているわけです。少し古い話題ですが、こんなこともありましたね。

ロスジェネこそ口を出すべきではない

ただ、そのように言うからには、この件を「コギャル」にかすりもしなかったような世代、つまりバブル世代やロスジェネ世代がとやかく言うのもおかしいと私は思います。

そもそも上の記事で取り上げたように、草の根第4波フェミニズムのボリュームゾーンは「バブル的なギャルにも、90〜00年代的なコギャルにもなれなかったロスジェネ世代」と一致しています。前述の「選挙ギャルズ」でも「性別とか年齢とか格好とか関係ないマインド」と言っているように、「“世代的に”ギャル文化に包含されなかった」という背景はどうしても勘ぐらざるを得ません。

こうした意見には同意しますけれども、同じことを「カネでしかコギャルと接点を作れなかったようなおっさん世代」が言ってしまったら一気に水泡に帰すでしょう。

私がこの話題に口を出すのも、「コギャル」が衰退し、オタク文化に事実上引き継がれていった時代に中高生時代を過ごしたからです。当時でさえ、「ガングロ・ヤマンバ」は死語でしたし、女子生徒の間でもルーズソックスよりニーハイソックスのほうが流行していました。だから「フェミのギャル観こそアップデートされていない」という言説はよく理解できます。

つまり、端的に言えば、これはもう「世代間闘争」なんですよ。バブル世代・ロスジェネ世代の親フェミ論客は「男」を漠然とその「買い手」としてしか見ることはできないんでしょうが、同じ時代を過ごした同じ世代の「男性」には(「ギャルだった女性」・「ギャルになれなかった女性」にもあるかもしれませんが)、単なる「性的対象」ではない、複雑な感情を「ギャル像」に抱いていることも多いです。このことははっきりと訴えておきたいと思います。