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無常観

9月14日にまた歳を重ねました。

別に今誕生日になんか思い入れなんてないし、楽しかった1日も悲しかった1日も365日中のたった1日と思って生きているはずだったので、特に思い入れがあるものというよりかは、「そっか、今日誕生日か」ぐらいのテンションだった。本当にそうかはさておき。

そう考えた方が何かと都合がよかったのである。
何か起こった時に自分の軸を持って揺るがない水波の立たない心を持っている人に憧れを持っているからっていうのが本心で、そうもしないと自分のようなメンタル豆腐人間はこの世界で生きていけないから、そう信じてやまないのである。

とはいったものの、祝われるのは嬉しいもの。

そうやって過ごした9月14日もあっという間に23時50分ごろになり、
「もう誕生日も終わりか」と、また誕生日なんかどうしたことない精神に戻り、自分を律するのであった。

次の日の金曜日は通常通り出社で、この日は結構やることが多かった。
前日は少しの心の浮きがありつつも、日が回ればなんとない日で地に足つけることに精神を尖らせて出社したのは覚えている。

11時13分、「family」という自分が大学1年生の時に作ったなんの捻りもない家族のライングループの父から突然LINEがあり、これまでの家族LINEではないような2-3行の文が流れてきた。おばあちゃんのある時がいつ来るか分からないからすぐ戻ってこれるようにと。

この時、その「ある時」というのがわかっていたつもりだったし、
「そうよな、そんな歳だしな」ぐらいの感覚であったため、
気持ちの準備だけはしておこうとそんな感覚と意志だった。

その後父と母から電話がかかってきて、自分が思っていたよりも「ある時」が近いことが知らされた。13時からお客さんとのお打ち合わせがあったが、それも出ずに大阪に向かうように決意し、会社を早退した。

この日は三連休の前日且つ夕方前ということもあって、かなり新幹線も混んでいた。スマートEXで見ても、どこもかしこも端の席は予約済みで予約する事され億劫であった。

渋谷駅から電車に乗るときは豪雨で、その透明性の高い雫を通してホームから見える灰色のビルを見つめた。

早く帰らないといけないという気持ちと、とはいったもののゆっくり座りたい気持ちが戦った結果、品川駅を越えて東京駅で降車した。

17:09に新大阪に到着し、そこにはいつも迎えに来てくれる時となんら変わりのない母の姿と姉がいた。
そのままおばあちゃんがいる病院へ向かった。

そこに寝ているのは間違いなく自分のおばあちゃんだった。
呼吸器をつけたおばあちゃんは不規則に胸が膨らみ、それと同時にメーターは上がる。
そのメーターにはおばあちゃんが自分で呼吸している量も表示されるのだが、その呼吸量はわずかであった。

母はおばあちゃんのデコを撫でながら「もう頑張らなくていいよ」と言った。
「もう頑張らなくていいよ。ってなんだよ」と咄嗟に思ったものの、母が見えている世界はまるで自分とは到底違い、これまでの苦労や努力を知っているからこそのその言葉であったと瞬時に考えた。

おばあちゃんは旦那さん(自分のおじいちゃん)を母が高校生の時に癌で亡くしていた。母が高校生の時から約40年も女で一つで女一人で生きて母を育て上げたのであった。
そんなことを知ったのもついこの間のことであった。

病院を後にしたが、病院を出た瞬間に目に映ったのは白い空とオレンジの夕焼けで、やっぱこの世界は不条理で何回も空気を読めよ!と思うことばかりである。

22:07、母からおばあちゃんが天国にいったとLINEがきた。
「よく頑張りました」としか思いつかなかったので、一切頭を使わずにそのまま送った。
おばあちゃんはついこの間、母にもう少しでお迎えが来ると言っていたそう。阪神タイガースが大好きなおばあちゃんは9/14の阪神の優勝を見届けて安心したとも、自分の誕生日の9/14だけは避けたということも、三連休のタイミングの方がみんなにとって都合がよかったということも全ておばあちゃんの優しさであった。

翌日お通夜が行われた。
19歳の時以来のお通夜であった。あの時は中学のクラブチームの先輩が亡くなってしまい、お通夜に行かせていただいたのだが、先輩の顔は今でも鮮明に思い出す。
この時から死に対する恐怖がより増したと思う。

お通夜は元々親族や故人と親しい友人が故人を見送る最後の日であり、線香の火が消えないように朝まで変わり変わり寝ては起きてを繰り返しながら朝を迎えるそうだが、コロナによる変化もあり、同時に文化も変化していった。
死にまつわる文化は無性に大事にしていきたいとその時無意識に思った。

お通夜は家族葬で行われた。会場につき次第、自分でも笑ってしまうぐらいすでに涙腺は緩くなっており、ちょっとでも気を抜いてしまうとこぼれてしまうので、全神経自分の涙腺へ費やし、涙腺の強度を上げていこうとした。

こんなところで泣いたらなんか胡散臭いし、そう感じて泣いている自分に嫌悪感を覚えた。だから今日のご飯のことや、仕事のこと、自分の将来のことを頭フル回転で考えて紛らわしたが、せっかく全神経を注ぎ、さらなる強度を上げるために他のことに思考を割いたにも関わらず、涙腺は期待を裏切った。台無し。

・・・

大好きなお母さんを育てたおばあちゃんには感謝しかない。

人はどのタイミングで正確に「死」というゴールテープを切るのか。病棟に高音が響き渡る時か、それとも自然が生み出したチカラで灰にされた時なのか。
おばあちゃんの寝顔を見る時も、灰と骨を見る時もずっと考えたが、答えは出なかった。

「生きている姿も死んでいる姿も死んだら同じなんやから、見ても見なくてもどっちでもいいでしょ」と夫の死体が帰ってこずに泣く女性をニュースをテレビ越しで昔思っていたが、心の底から生きている間におばあちゃんに会えて良かったと思えた。



様々な感情が渋滞して、その感情が残っている間に言葉にしていると、もう1週間も経ってしまった。
忘れてはないけど、時間は属人化と真逆のラインを攻めて、今日も無常に過ぎていく。






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