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人生を取り戻せ

悩みのない人はいないと思うが、人の悩みは全て人間関係の悩みから発展しているとまで言われる。

悩む時間というのは想像以上に長い。悩んで悩んで、そうこうしているうちに、仕事が手につかなかったなんてことはよくある話だと思う。

悩んでいる間、生産効率が落ちるし、健康を阻害していく。

読書療法(ビブリオセラピー)の研究では、読書によって悩みを解決することで、寿命が伸びることが知られている。これは、読書によって先人の解決策をインプットできることで、悩む時間が読書をしない人よりも相対的に減るためだ。

「悩む」という行為はそれほどまでに消耗させる行いなのだ。


人は一人では生きていけない。生まれながらにして親の手を借りなければならないし、社会人になっても誰かと仕事をしなければ、生活費を手にすることも難しい。

社会は誰かの都合と誰かの都合で形成されている。
働くということは、経済循環の海を泳いでいくことになるが、それは誰かの都合で張り巡らされた網目を縫って生きていくことに等しい。

歪んだ見方をすれば、社会で生きることは、誰かの都合で生かされているということだ。

学生から社会人になるとき、それまで自由に遊んで学んでいればよかった身から突然、「仕事だから」「その道のプロでしょ」など、マインドセットを入れ替えなければならない。

日本において勤労は国民の義務なので当たり前なのだが、相当苦労するはずだ。自分もそうだった。

そうやって義務と都合の下で仕事を続けていると、人はいつしか悩みが増えていく。全ての悩みは人間関係の悩みであると言われるように、悩み始めると誰かの顔がチラついていることがほとんどだ。

あの人に嫌なことを言われた、
あの人と一緒にいるのが苦痛だ、
というネガティブなものもあれば、

あの人に何か恩返しをしなければ、
あの人に好きになってもらうにはどうしたらよいだろう、
というポジティブな悩みもある。

悩むということは人間関係の悩みであり、悩む時間はその他人のことを考えている時間と言える。

健康を阻害し、生産効率を下げてまで、なぜ人は他人のことを考えるのだろうか。たった一度の自分の人生なのに、他人のことを考えて過ごす時間にどれほどの意味があるのだろうか。

「悩むこと」は自分にとって最適な行動ではないどころか、他人に人生の時間を奪われてしまっている、ということになる。
そうして失った時間を誰かのために費やすことよりも、健康な心で生きるべきだ。

必要以上に他人の声に耳を貸さないことだ。所詮は異なる環境で育った価値観の違う他人であるからだ。100%全て分かち合うことはできないし、自分の主張は相手の「都合」というフィルターを通してしか届けることはできない。

そうして他人に執着しないことが肝要だ。
他人からは適切な間合いを取る。それが家族であったとしてもだ。

他人が起こす行動の責任は、他人のものだ。苦労しなければ、成長しないし、甘やかすほどに、その人のためにはならない。

誰かの顔を思い描いて悩んでいる時間なんてもったいない。
誰かと比較しても本当の幸せはやってこない。

自分の人生を取り戻そう。


いつかこの世を去るときに、他人の顔がチラついてばかりの人生で、果たして良かったと思えるだろうか。

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