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抄読会も一期一会

医療の世界では当たり前のように行われている文献抄読会。大学院にいた頃は毎日のように文献を読みあさり、発表をしては先生や先輩にボコボコに愛のムチをいただいてようやく自分の論文を完成させた思い出が蘇る。

一人で文献を読みあさっていると、基本的には自分が関心を向けているテーマ、興味があるテーマのことを中心に調べることが多い。今ある知見をさらに深掘りしていくイメージだろうか。

そのため、手元にある文献も似たようなものになってくるし、著者やタイトルを見るだけである程度の予測がつくようになってくるものだ。当然、一人でやっているとどんどん深掘っていける一方で、なんとなく思考も偏ってくる傾向は否定できない。


その偏りを修正してくれるだけでなく、新たな視点であったり、視野の広げ方に気づかせてくれるのが抄読会であったり、ディスカッションであったりする。

今、トレーナー仲間で行っている抄読会には理学療法士から鍼灸師、パーソナルトレーナー、整体系の方など、健康産業に関わっているもののさまざまな職種についているメンバーが集まっている。

そのため、一つの文献に対してもさまざまな角度から議論を生み出すことができるのが面白い。

逆にメンバーが発表する内容は自分自身にとってもあまり触れないテーマだったりもするので新鮮でもあるし、それに対して自分がこれまで経験してきたことを掛け合わせてみたり、以前に出会ったことのある文献との関連性を乗っけてみたり。

それぞれ発表することは一つでも、そこからの掛け合わせがあることで得られることは2倍にも3倍にも広がる。発表する側がたくさんの気づきを得られるのはもちろんのこと、ディスカッションに加わる全てのメンバーが自分ごととして捉えることができるのが抄読会の面白いポイントと言えるだろう。


ディスカッションというと、どうしても引け目を感じてしまう人もいるかもしれない。それはテレビなどで出てくる「討論」とか「論破」といった勝ち負けをつけようとする風習からきていると思う。

ディスカッションには勝ちも負けもなく、あるのは自分ごととして捉える考え方と創発的なものの考え方だろう。


臨床の現場であったり、運動指導の現場において正解というのは存在しない。全く同じ場面というのも存在しない。さまざまに変化する状況の中で、最適解を出すためにどうするか。

頭の中にある引き出しを増やすことも大切だし、たくさんある引き出しの中から素早く最適解にアクセスすることも大切。そのための練習としてディスカッションが抜群の効果を発揮すると考えている。

AIの台頭で調べようと思えば、答えに近いものはすぐに出てくるかもしれない。それでも人との仕事においては、そんなに単純なものではない。対話を大切にすることで、技術以上の成果を出すことができるのでは。そんなことを思った抄読会後のひと時でした。

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