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夢や目標を共有して、力を貸してくれる人を探す

どちらかというと自分は秘密主義な方で、自分の考えをあまり人にベラベラとしゃべるのが好きじゃない。
自分はこういうことを考えているとか、こういう野心があるとか、こういう夢を持っているとか、自分のことをあまり人に知られるのが好きじゃない。
何でもかんでもおおっぴらにしゃべる人もそれはそれで魅力があるけれど、この人は一体どんなことを考えているんだろう? って謎が多いミステリアスな雰囲気の人もまた、惹かれるところがあるじゃないか。
別に狙っているわけじゃないけど、性格的にも自分の本心を軽く人にご開陳したいとは思わない。

だがしかし、なんでも自分でやることにも限界はある。
野心を抱いていたって、夢を持っていたって、それに向かって頑張っていても、能力も人脈も時間もお金も揃ってなかったら、実現させるのはいつになるかわからない。
「どうやるか」ではなく「誰とやるか」に重きを置いた瞬間、自分はどうなりたい、こんなことをやりたい、って意志を表明しないといけない。
自分の目標を叶えてくれそうな、力を貸してくれそうな人を見つけるには、「自分はどうしたいか」考えを開陳しないと、人を見つけることも、人に見つけられることも難しい。
助けてくれる人を見つけたいなら、自分の考えを「共有」する必要がある。

今は SNSでつぶやけば、思わぬ人とつながって思わぬ道が開けるかもしれない。
そう簡単に行くかわからないけれど、何も言わないよりはつぶやいたほうが、声や文字に出したほうが、意外となんとかなるかもしれない。
「なんか口に出して人に言って回ってたら、誰かがどこかで助けてくれたりするもんだよ。だから自分はこうしたいんです、って言って回ったほうがいいよ」
なんて言葉を自己啓発本だったりなんだったりで見たり聞いたりしたことがあるけど、ああこれってそういうことだったのか、と今更ながらに気づく。
アウトプットすることで人に伝えられることもあるし、同時に自分自身に言い聞かせることで、良い意味で思いを強化できたりもするし。
とはいえ何でもオープンにするのではなくて、大事なところだけ表明することも必要。
それに自分に自信を持っている証拠にもなる。
人になんと言われようと「自分はこうしたい、こんなことをやってみたい」と堂々と言えるほうがカッコいいじゃないか。
自分の夢だもの、他人なんて関係ない。
自分が満足したいなら、自分の考えに自身を持ちたい。
とココ最近思うようになった。

そういう自分の夢とはなんだろう。
最近はもっとエッセイ風的なものをエッセイとして上手くなりたいし、なんならエッセイやコラムを書いて飯を食っていきたい。
近頃はラジオやポッドキャストにも興味があるのでやってみたい。
とはいえ一人で喋り続ける自信はないので、誰かとペアとかでやってみたい。
YouTube? 動画にするほどのことがないので、まだ音声のほうがやりやすい。
とココ最近で挑戦してみたいこと。
誰か一緒にやりませんか?
誰でもいいわけじゃないけど。
誰と何をどうやりたいのか、明確な目標を立てないと夢は実現しないよ、と書いてあった。
確かにそうだ。
まずはそこを深堀するところから…。


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