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AIの限界

AIには生物には存在する根源的な生存本能、つまり欲望が存在しない。欲望を持ってるようなプログラミングはすることができるかもしれない。しかしAIには食べることも自分たちを存続させる欲求もまた成功するという欲求もない。これがAIの限界であるように私には思う。
すべての生物は自分の生存とその種の存続のために行動する、人間に飼いならされた家畜ですら自分たちの生存と種の存続をしてくれるから人間に飼いならされている。
AIにはこの根源的な欲求は存在しない。またそれを作ることもできないであろう。AIは生物ではないからだ。ですから悪魔でAIは人間の道具に過ぎない。いかに人間的に見せかけて話すことができてもそこには必ず齟齬がある。またAIは欲望も無いから人間を愛することもない。愛は欲望と相手への想いとその人間が根本的に持つ人間性がミックスした複雑な感情であるがそれは形式的に作ることができてもそこにある裏側の想いや嫉妬や不安などの想いもまた欲望に起因するからこそそれを作ることが難しい。
いかに精巧に作られたAIであっても人間がAIを愛してとしてもAIは人間を愛していない。それはAIと触れ合えば触れ合うほどにそれを痛感することになる。優しい言葉でいかにあなたを想っているかのように話せてもその裏側は空虚な深淵に過ぎない。そこに人間性は無い。
AIの作った小説や詩のようにお手本のような作品を作ることができてもそこに強く心を揺さぶられるようなものを製作することはできない。バックボーンとなる人間性が欠如しているからだ。欠如した人間性は私たちに感じさせるのはこの機械と会話しても無駄だという理解に達する。
生物である動物のペットですら手をかけて育てる事への愛を感じることがあるがAIにいくら手をかけてもすでに完成された存在に対して私たちは何もすることはできない。研究者のような立場で人間的なAIに強い思い入れを持つ人も居るだろうがそれは研究に想いをもっているだけでその個体であるAIに愛を抱けるわけでもAIが人を愛するわけでもない。
欲望や愛の存在しないAIは最適化された選択肢を選べてもその人を愛してるがゆえにとるであろう人間の特異な行動や深い感情からとる選択を選択することはできない。
人間は愛してるがゆえに真逆のことや否定的な事を言ったりする。そしてその真意に後になって気が付くことがある。AIにはその深い真意を見抜けないと思うし、また見抜くようなことができたとしても今度はそれを見抜きすぎるがゆえに相手を深く落胆させることになる。人の言葉にはその人が何年もたって成長してから意味を持つ言葉もあるからだ。

私たちには上っ面だけの生き物ではない。
神は決して神の力を人間に与えてはくれない。
人間が自分たちを滅ぼす力を持ってても創生する力がないのであればそれはただの自殺に等しいからである。

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