性癖を否定するほど性癖は歪む

真面目な教員や公務員また政治家などが性的な問題を起こしてニュースになることが多い。それはひとえに正しい人を演じる反動から発生する。人間である以上どんなにそれを否定して穴に埋めて隠してもその欲望は表に出てきてしまう。
それは否定して隠すほどにそれはひどいものになっていくものだ。オープンに自分が変態だと言える人ほど実は言うほどでも無かったりする。クリスチャンもこの正しさで歪んでしまう人が多い、しかし振り返ってみると聖書にはたくさんの性的スキャンダルが書かれている。神に選ばれた正しい行いをした人が性的な行為を行ったことが記述されている。
これは人間と言うものの限界をはっきりと聖書に示しているのだ。聖書は正しくあれと言うと同時に人間がどうしょうもなく人間であってどうにもならないものを抱えてしまうものであるということがはっきりと示されている。

自分は自分以上にも自分以下にもなれない。

それを受け入れて正しくあるという荷をすこし降ろす、これは大事なことだ。好き放題やって良いわけではない。だがあなたがあなたの選んだ人とその内だけそれを楽しむのは私は否定されるべきではないと思う。愛と言うのは難しいものだが欲望を許すというのもまた愛ではあるのかも知れない。ただそれはコントロールされるべきではある。
自分の欲望で他者を傷つけてはならない。これは性的関係におけるルールだと思う。

また自分自身の一人のうちなる楽しみならなおのこと誰も傷つけない、本当に素晴らしいものだ。自分自身の中だけで楽しめるものは愛のあるものである。そういった行為や妄想を否定することをしないようにしてほしい。

大切なあなたの愛であるのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?