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楽しかったひととき~「白露」創作秘話

昨夜、「白露」の主人公である「笠間市之進」のご子孫様と、楽しいひとときを過ごさせていただきました!

笠間さまが二本松にいらっしゃる用事があるとのことで、お互いに都合のいい場所、ということで郡山でお目にかかったのですが、とても初対面とは思えないほど盛り上がりました(笑)。
ちなみに、会食で選んだ場所は郡山の「陣屋」。郡山で「飲める」スポットの代表格の場所ですが、拙作「鬼と天狗」の第6話(小原田騒動)で、大谷鳴海が率いる5番組の面々と、守山藩の三浦平八郎&藤田芳之助が火花を散らしあった辺りでもあります(笑)。
そもそも、「陣屋」という地名自体、二本松藩の「郡山組」の代官所が置かれていたことに由来しますしね。

そして選んだのは、会津産の馬肉料理のお店。(馬肉も会津名産の一つです)
せっかく福島にいらっしゃっていることですし、会津にもゆかりのものを、との私のチョイスでした。
「二本松藩士に」ということで祝杯?を上げ、歴史話・よもやま話に花が咲いた次第です。

「白露」の本文でも少し書いたのですが、笠間家というのは二本松家中では比較的新しい家柄です。それ以前はどこにいたのだろう?というのが私の中で疑問だったのですが、笠間様によると、どうも会津にいたらしいとの由。

二本松藩と会津藩は現在の郡山市~二本松市にかけて領地を接していたため、時には境界や領地支配を巡ってやりあったこともあるようなのですが、総じて「大切な隣人」だったのだろうと感じた次第です。

安部井家の場合

ちなみに、笠間家と同じように「会津→二本松」への転身のパターンは、安部井あべい磐根いわねの安部井家がそうです。
こちらは、会津藩の資料にも別の安部井家が出てきますし、私個人としての考えは、安部井家(祖先は近江出身らしい)の場合、

豊臣秀吉の奥州仕置による、蒲生氏郷の会津入植の1団に、安部井家の先祖がくっついてきた?
その後、蒲生氏郷が一時的に二本松を支配していたときに、安部井一族の一派が二本松に入植。
別家はそのまま会津に残って、後に来た保科氏(会津藩の始祖)に仕えた

こんな経緯を辿ったのでは?というのが、私の推測。
笠間家の場合はわかりませんが、領地交換(猪苗代湖沿岸の郡山市湖南地区&郡山市熱海地区周辺の石筵村など)の際などに、二本松藩に転身したのかもしれません。

そう考えると、意外と二本松藩の会津藩の縁というのは、幕末以前からさまざまな形で交流があったと考えるのが自然です。

歴史好きは同年代にもいる

また、実際にお会いして分かったのですが、私と笠間さまは同い年。となれば、歴史も関係なく共通の話題というのもあるわけです。
そして、笠間さまも地元で考古学実習に携わったご経験がおありとのことで、その際の秘話なども伺いました。
歴史というと何となく「後年配の方が語るもの」という偏見?を持つ方もいらっしゃいますが、私も笠間さまも、経緯を辿れば結構早くから歴史に親しんでいたことになります。
(※笠間様は、学芸員の資格もお持ちだそうです)

私の場合はただの「歴史オタク」のような気もしますが(笑)、笠間様の場合は実際に親御さんなどから先祖の苦労話を伺っているわけですし、また、会津藩の血も引いていらっしゃるということで、やはり話の重みが違いました。この辺りは、武家文化がしっかり残った家と、「THE・庶民」出身の違いとでもいうのでしょうか……。

僭越ながら、普段はなかなか見る機会がないであろう笠間市之進さまの最期について触れられている、「白沢村史」の資料をお渡しいたしました。「白露」を書く際に参考にしたものですが、笠間家の史実研究にお役立ていただければ、幸いです。

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