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体制⇔独裁⇔チーム

”世界の教養”、今日はカエサルの話。

注意深き独裁者、という印象だけれど、「独裁官」という役職にあったらしいから、今で言う独裁者とはちょっと異なるのだろう。あるいは、訳語が不適切なのか。

私は歴史を知らない。だから、カエサルについても、ここに書かれていることしか知らない。
その限りで言うならば、カエサルは、(内乱をしたにせよ)当時の既存の体制を形式上は維持しつつ、その中で好きなように活動した人だった。そして、「独裁官」の訳語の当否は別として、おそらく単独で強大な決定権限があったことは間違いない。また、圧倒的に優れた軍事力と頭脳を持ち、広く治めるだけの実力を持っていたのだろう。背景にはローマの体制に乗っかりながら。

これだけの個人的な力がすごい人であっても、暗殺される。
しかも、暗殺犯の中に信頼していたブルートゥスもいたというのだから。ブルートゥス、お前もか」の言葉だけは私も聞いたことがあるから、相当ショックな裏切りだったのだろう。
結局、カエサルは、自分を支える、自分の味方になる仲間を持てなかった。

本気で何かをやり遂げようとするのなら、そして自分にそれを遂行できるだけの力があると感じたとしても、一人でやるのではなく、チームを作ってやった方がいい。それが私の感じた教訓。
何かをやり遂げるための作戦力や実行力は誰にでもあるわけではなく、たしかにそれを持っている人はリーダーになるといいかもしれない。だけれども、勢いだけで達成できるのはある時期までだ。そこから先にさらに進もうとするときには、それまでの力だけでは難しく、他の要素とのバランスを考える必要が出てくる時期がある。そのときに、それまでのリーダーたりえた人であっても、バランスがとれているのかわからなくなるときがある。
そのときに必要なのは、いろんな視点からの検討である。その視点を受け入れられるのは、それまでの成功が自分一人ではなく、他のメンバーの支えもあったからだと気づけている人だけだ。自分一人で成功したと思っている人は、他の人の意見を聞く耳を持たない。自分の意見が絶対だと思っていると、バランスが崩れてきていることにも気づかない。
そして、どこかで道を誤る。

カエサルは、共和政という体制は気にしていたから、自分はうまく他人と調和できていると思い込んでいたのかもしれない。
けれど、体制はチームではない。自分の味方にもならない。
ブルートゥスら腹心の部下がいたならば、もっとチームを意識すればよかったのではないか。自分が絶対的リーダーだという意識ではなく、みんなで作り上げた、という意識を仲間と共有できていたならば、「硬貨はやりすぎだ」だとか、忠告する人も出たのではないかと思うし、自分でセーブする意識も出たのではないかと思う。

自分が本当にやりたいことを本気でやろうとするならば、そしてそれが社会に関わることならば、その遂行のための作戦だけでなく、チーム作りも重要ということ。

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