頂きはどこにある?



人生山あり谷ありとはよくいうけどこの本は、その山であったり、谷であったりの本質を説いている本。

主人公はとある会社員。ある日、山に登った。そこでとある一人の老人と出会った。

その山に登った時に、素晴らしい景色を見た。
まさに山の上の頂上は素晴らしい環境であったし
ずっとそこにいたいと思った
人生でいうところの甘い部分。そのいただきにいることが
最も幸せであるということの比喩。

その会社員は、山に登った後には自分の住んでいる谷に
戻る必要があったし、その谷は暗く、山の頂上に比較すると
いい環境とは言えなかった

そして、谷にいる時に山の頂上にいる時のことを
自慢していくと、周りの人間はどんどん彼を
軽蔑し、離れていくようになった。

そう、山の上のことを話すことで
周りの人間からはいいように思われていなかった。

とある日、もう一度山に登った。
彼はもう一つの高い山があることに気づいた。

そこからの景色が見たい
そう思った会社員は、険しいと思いながらも

懸命に登っていった

そこで待ち構えているのは、
谷での過酷な環境であった。

目の前に流れる川

落ちてくる雨

様々な困難が目の前に立ちはだかる中

彼は、やっとその頂上に登り詰めた。

そのもう一つの高い山から見える頂上からの景色は
とても最高であった。
という話。

ここからの学べる教訓
その、もう一つの山に登ろうとした時に体験した困難について。

エゴは、山では人を傲慢にし、谷では怯えさせる。
現実を見えなくさせて、真実を歪めてしまう力がある。

山にいるとき、つまり人生でいい時間を過ごしている時には、
人はエゴのせいで物事をよりいいように見てしまう

谷にいる時には、実際より悪く見てしまう。
そのために、人は山にいる時には山がいつまでも続くと思ってしまうし、

谷にいる時には終わりがないと怯えてしまう。
山からすぐに落ちてしまう一番の理由は、

傲慢である。

それは、見せかけの自信に過ぎない
谷からなかなか出られない
一番の理由は、恐怖心である。

谷にいるときに大事なことは
自分なりの具体的なビジョンを作り出し、それに従うこと

山にいる時には、どうやって山に行けたのかを考える
そうすると、谷に落ちた時にでもまた山にいくことができるし、

山の上に居続けられる。

谷の苦しみは、それまで無視してきた真実に気づかせてくれる。
山にいる時には、物事を実際によく思っては行けない

いい景色、環境だったとしても過信しては行けない。
谷にいる時には、物事を実際よりも悪くみて、思っては行けない。

現実を味方にする。


登場人物は、雨が降り地面がぬかるんだ状態で
目の前に勢いよく流れる川を渡らなければならない状況で絶体絶命の
ピンチ。

そこで持っていた縄と向こう岸にある

切り株を確認し、縄を投げて向こう岸まで渡った

今ある現実を認める

恐怖に打ち勝つためには、現実を認めることで叶えることができる。

心を平穏に保つことができる。

谷にいる時には、その谷にいるということを認める

具体的なビジョンがあれば、それが可能となる。
谷にいる時には、本当にどん底にいて
これが一生続くんではないかという恐怖感に襲われる

山にいる時には、その状況がずっと続くように努力する

そして、傲慢になってしまう

この状況を知っているのは、自分だけだと
甘い蜜を吸っているのは、自分だけだと。

でも実際はそうでない
谷の人間から山の経験は、あまりよく思われていなかったから。

その体験や行動、言動は、エゴに過ぎない
実生活においても、谷にいる時にも山にいる時にも
その思考はエゴに過ぎないんだろうなと。

エゴに囚われると、エゴに殺されてしまう。
エゴに陥らないようにするためには、

現実と向き合う

そうすることで、恐怖心が抜ける。

現実を確認するって、大事ですね。

良本でした。


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