“できる”という価値を忘れてはいけない

「2017年福島県産新米4年連続基準値超ゼロ」
「2017年は全世界ジェット旅客機の墜落事故ゼロ」
この快挙ともいえる数値をなぜ全国放送でもっと大々的に発信されないのでしょうか。

この結果には並々ならぬ人々の努力が垣間見えます。特に福島の農産物に関しては、震災以降多くのネガティブな風評が広がり、復興に向けて全県、全国を挙げて取り組んできた課題だったと認識しています。
ましてや、国を挙げて「地方創生」を目指して多大なコストをかけて地方のブランディングに取り組んでいるはずなのに、なぜ。
もっと大きく全国に向けて発信していただきたい。メディアの皆さん。インフルエンサーの皆さん。よろしくお願いします。

さて、これはかなり大きな話ですが、日頃の生活においても同じ現象があるなぁと。
例えば、子育て中のお母さんが、家事と育児を並行して行っているとき、旦那さんはどのように言うか。
「いつも僕が仕事に行っている間、子供の面倒を見てくれてありがとう」
いやいや、そんな人少数派。
「靴下なんで洗ってくれてないの?今日履いていけるのないじゃん」
そうそう、これこれ。気を付けます。
できることを当然としてものを言っていることが多い、というより『“できる”という価値』にそもそも気づいていない。そして、やっているお母さんもできたことを自慢しない。世の中のお母さん、もっと胸張って今日できたこと自慢してください!

この『“できる”という価値』に気づいていない現象は、身近なものとして社会一般様々な場所で散見されます。

先日お話しした社長に言われた一言がなんとも印象的でした。
「うちの社員は自分から考えて何かしようという気概が感じられない。もっと創意工夫できるように変わってほしい。」
社長のご期待はとてもよくわかります。事業環境の激しい昨今においてはとても重要な要素でしょう。
しかしながら私から見ると、この会社の社員の皆様、突発的な指示も迅速に確実に仕上げてくることがとても特徴的で、生産性も高い。なかなか他の企業ではない優秀さを持っていらっしゃいました。
「言われたことを確実にやりきる」ということができているのに、なぜそれを評価してあげないのだろうと。この強みを活かした企業経営はできないものかと。

世の中全体を見渡してみると、なんとも皆さん“できる”ことを当然として蔑ろにしすぎではないかと思うのです。
“できる”ことは当たり前ではなく、その人の努力の結果、最大の強みとして活かしていくことができないかと強く思います。

皆さん、福島県産のお米、世界で最も安全なお米かもしれませんよ。
身近な“できる”を称えあう文化、造っていきたいな。

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