妥協の産物からの脱却を目指して

 何事にも

「いい塩梅」

というのがあると言われます。

 美でも技術でも、深く追求すれば、どこまでも追求できます。しかし、その結果アウトプットできないまま終わってしまったり、人が求めているタイミングを逸してしまっては、意味がないからです。

 確かにその通りなのですが、だからと言って、妥協して出したものが、正当なものとして評価されるというのは、違うと思います。

 妥協はあくまで妥協。追求すべき理想は別にあり、そこに向かって努力していく事で、我々は進歩していくのです。

 ずいぶん間が空いてしまいましたが、音楽の話の続きです。

●ピタゴラス音律

 前回の解説では、

「音の周波数の比が簡単な整数比となるほど、和音として調和する」

という事でした。そして、「ユニゾン」と「オクターブユニゾン」(同じ音階)以外で違う音が現れるのは、周波数比が 2:3 となる、「完全5度」です。

 実は、この関係を見出し、音楽を初めて数学的に解析した人物は、ピタゴラスでした。ピタゴラスは、

オクターブ→1:2
完全5度→2:3
完全4度→3:4
1音→3/2 ÷ 4/3 = 9/8

として、定義しました。

 ちなみにこれは、中国でも「三分損益法」と言われ、弦や管の長さを

1/3短くすると完全5度
1/3長くすると完全4度(1オクターブ下)

として音を変える方法が知られていました(下図)。

画像1

 この定義に沿って音階を表現すると、ピアノの「白鍵」の部分(全音程)は、

ファ(1オクターブ下)→ド
ド→ソ
ソ→レ(1オクターブ上)
レ(1オクターブ上)→ラ(1オクターブ上)
ラ(1オクターブ上)→ミ(2オクターブ上)
ミ(2オクターブ上)→シ(2オクターブ上)

として出揃います。さらに「黒鍵」を含めた12音(半音階)を加えれば、

ミ♭(2オクターブ下)→シ♭(2オクターブ下)
シ♭(2オクターブ下)→ファ(1オクターブ下)
ファ(1オクターブ下)→ド
ド→ソ
ソ→レ(1オクターブ上)
レ(1オクターブ上)→ラ(1オクターブ上)
ラ(1オクターブ上)→ミ(2オクターブ上)
ミ(2オクターブ上)→シ(2オクターブ上)
シ(2オクターブ上)→ファ#(3オクターブ上)
ファ#(3オクターブ上)→ド#(4オクターブ上)
ド#(4オクターブ上)→ソ#(4オクターブ上)
ソ#(4オクターブ上)→レ#(5オクターブ上)

となります。ただし、1オクターブ上がると周波数が倍になっています。

 これを利用して、1オクターブ内での各音階の周波数比を考えると、やはり「ド」を基準(1)として、

ド = 1 
ド# = (3/2)^7*(1/2)^4 = 2187/2048
レ = (3/2)^2*(1/2) = 9/8
ミ♭ = (3/2)^(-3)*(1/2)^(-2) = 32/27
ミ =  (3/2)^4*(1/2)^2 = 81/64
ファ = (3/2)^(-1)*(1/2)^(-1) = 4/3
ファ# =  (3/2)^6*(1/2)^3 = 729/512
ソ = 3/2
ソ# =  (3/2)^8*(1/2)^4 = 6561/4096
ラ =  (3/2)^3*(1/2) = 27/16
シ♭ = (3/2)^(-2)*(1/2)^(-2) = 16/9

という風になります。こうして音階を規定する方法を、「ピタゴラス音律」と言います。

 実際に、中世までの西洋音楽は、この「ピタゴラス音律」に基づいています。つまり、音楽における「和音」や「音階」という概念は、元はこの「ピタゴラス音律」から始まったのであり、歴史的にもこれが一番長く用いられてきたことになります。

●苦肉の策の十二平均律

 しかし、この比をよく見てみると、現在の鍵盤配置のピアノによる演奏に不都合がある事がわかります。

 1つは、ドを基準としたときの半音の周波数比が、

ド:ド# = 1 : 2187/2048 = 1 : 1.06787
ド#:レ = 2187/2048 : 9/8 = 1 : 1.05350

と、異なる比が出てきてしまう事です。

 もう1つは、「レ#」のドに対する比を求めると、

レ# = (3/2)^9*(1/2)^5 = 19683/16384

となりますが、

「ミ♭」と比較すると、

レ# = 19683/16384 = 1.20135
ミ♭ = 32/27 = 1.18519

となります。現在では、これらは「異名同音」とされる同じ音のはずですが、ピタゴラス音律では同じになりません。

 これは、例えば「音名」で言う

"C"を基準とした「ハ長調」(「ハ」は日本の音名)

の曲と、

"G"を基準とした「ト長調」

では、楽器の調律を変えなければならない事を意味します。また、

曲の途中で基準の音を変える「転調」

を行うと、途端に不協和音となってしまう事になります。

 16世紀頃までの西洋音楽は、「教会旋法」(ドリア旋法やミクソリディア旋法など)を基礎理論としていました。これは、今でいう

同じ基準音の調の中で、音階中の「全音」「半音」の並びを変えたもの

であり、フィナリス(終止音)をどの階名の音にするかという違いでした。

 そのため、転調などの概念は無く、特に問題が生じなかったものと考えられます。

 しかし、その後「機能和声」という概念が生まれてきます。これは、

調の「根音」(基準音)を定めて、その根音に対する関係により和音の役割が決まる

というものです。

 おそらく、音名で表現される「絶対音」の概念も、この辺で定義され始めたのだと思います。

 そうすると、先程の調律の問題が顕在化してくるわけです。その後、リュートやギターなどの「フレット式」の弦楽器が発明され、その音の調整の都合上、現在の「十二平均律」による調律が一般的になっていきました。

 十二平均律は、

1オクターブが2倍の周波数

ということから、半音を含めた12音に対し、半音の周波数比を

1 : 2^(1/12) = 1 : 1.05946

として均等に割り付けた音律です。

 これは「無理数」ですから、当然きれいな整数比にはなりません。例えば、完全5度の周波数比も、

ド:ソ = 1 : (2^(7/12) = 1 : 1.49831

となり、

3/2 = 1.5

にはなりません。

 以下の図は、完全5度の和音の波形を、ピタゴラス音律と十二平均律で比較したものです。

画像2

 緑色の点線がピタゴラス音律、オレンジの実線が十二平均律です。同じように見えますが、緑色の点線は、振幅や中心に揺らぎが無く、波形が揃っています。それに対し、オレンジの実線は、振幅や中心に揺らぎがあるのがわかると思います。

 実際、この揺らぎが「気持ち悪く」感じられる人もいるようです。

 そして、1オクターブに白黒合わせて12個の鍵盤しかないピアノは、当然十二平均律による調律でないと、いろいろな曲の調を弾けないのです。

●何のための音感か

 私はここで、「自然音律絶対説」を展開したいのではありません。ピアノにより身につくと言われる、「絶対音感」の意味を問いたいのです。

 上で長々と述べたように、ピアノの調律は「十二平均律」であり、人間が古来から親しんできた音楽とは異なる、完全に人工的な理論に基づいて定められた調律法による音感が、「絶対音感」という事になります。

 これは、「ピアノの調律師」には必要でしょう。

 聴音による調律は、2音を聴いた時の音の揺らぎ(うなり)を無くすように調整するものです。しかし平均律では、和音を奏でたときのこのうなりを消してはいけないので、脳に記憶している音高に合わせなければいけないからです。

 楽器の演奏をしたり、歌を歌ったりするときに必要な音感は、

旋律であれば前の音、和音であれば他の音との「相対的な音高の差」

が、曲調にふさわしいかどうかという感覚です。

 電子楽器やDTMが普及している現在では、従来のチューニングや音階にこだわらず、自由な音律を取り入れたり、新たに音律を定義したりという事もされているようです。

 どういう経緯で、

絶対音感が優れた音楽的能力

という説が流布されたのか分かりませんが、私が絶対音感は音楽家にとってはむしろ、自由な発想や音楽の美を追求する上で、障害になるとさえ考えています。

 ディジタル時代の全く新しい音楽理論が、根拠のない通説を覆えす日も遠くないと思います。

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