見出し画像

民主主義とは自分で考える事

大きな違和感

私はとても違和感を感じていました。
例の銃撃事件があった時、「民主主義への挑戦」という論調が支配していたことです。

もちろん、事件に驚きはしました。しかし、この事件が
「選挙に大きな影響を与えることになるか」
というと、そうは考えられなかったのではないでしょうか。

  • 犯行予告などなく、候補者や有権者が脅されるような事実も無かった

  • 襲われたのは「元」首相一人であり、犯人も単独で素人であった

  • そもそも選挙前から期待されている野党は無く、現与党に票が集まる結果はほとんどわかっていた

銃撃されたのが元首相というのは、確かにインパクトは大きいです。しかし、選挙という国民全体が関わるものの大勢に影響を与えるには、印象が薄すぎます。
もっと組織的に、有権者を複数人が狙われたとか、表を取りまとめている企業や団体が脅されたというほうが、よほど影響があります。これらを考えただけでも、政策や思想に関係した犯行ではない事は、容易にわかります。

もっと追求されるべきこと

犯行動機は、犯人の母親が宗教活動にのめりこみ、家庭が崩壊状態になったが、その某宗教団体に元首相が深くかかわっていたことだと報じられました。もしこれが事実だとすれば、その方がよほど民主主義を揺るがしかねない、由々しき問題です。
選挙期間中というタイミングで政治家が襲われたという事で、多くの人が思考停止状態になり、それがうやむやにされようとしています。
この事について、素人なりに考えをまとめたいと思います。

まず、犯人の話の信憑性についてですが、

  • 愉快犯だとしたら準備が入念過ぎるし、銃器の製作にしてもリスクが大きすぎる

  • もし本当の意図が政策へ影響を与える事だとしたら、既に退いている元首相よりも、現政権の首相や大臣を狙うだろう

  • 元首相の政権時代の政策がもとで生活が困窮していたことを恨んでいるとしても、首相一人でどうこうできる話では無いし、まして身近な存在でもない人をこれほど恨むという事は考えにくい

以上から、家庭崩壊と関係していた宗教団体との関連による恨みというのは、十分あり得る話だと思います。ましてや、元首相が広告塔のような役割を果たしていたのだとすれば。
こんな画像を容易に探すことが出来ます。

ウォールストリートジャーナルでも、日本の政治家と宗教団体との関係をこう報じられています。

日本は無宗教ではない

よく
「日本人は無宗教だ」
と言われますが、それは違います。国全体で統一的な信仰が無いというだけで、神や仏にすがる心は本能的に存在します。
今までは、日本は総中流階級と言われる豊かな国であり、戦争もなく安定していましたから、そういうものにすがる必要が無かったのです。しかし、個人として悩みや苦しみを抱えている時に、急に何かにすがって傾倒するようになります。

日本は古来から「八百万の神々」という言葉があるように、神道が根付いていました。古い神社が沢山あったり、神体を表すシンボルが身近に存在する事からもわかるでしょう。
さらに、大陸から仏教がもたらされると、神仏習合ということで神道と相いれる形で親しまれてきました。そして、何か災害や流行り病、戦争があるごとに、日本人の精神の拠り所になっていたのです。

しかし、第二次世界大戦で日本がアメリカに敗戦すると、アメリカは日本人の信仰心を「危険なもの」として、それらを「教育」によって弱めようとしてきました。「神風特攻隊」というのがあったように、特に神道が日本の屈強な軍隊を作るのを恐れたのです。

ちなみに日本では、科学と宗教を対立した物のように語られることが多いです。しかし、実際に過去の偉大な発見をした科学者の多くは、宗教家であったという事実があります。
この話があまりされる事が無いのも、そうした教育方針の名残なのかも知れません。

「新興宗教」という言葉が、何かとても危険な響きがあるのは、そうした人の心の隙に付け込んで、犯罪に利用したり、財産をつぎ込ませたりする事件が絶えないからです。そのため信仰心があるか無いかに関わらず、日本人も宗教とはどんなものかについて、一通り学んでおく必要があるのです。

日本の政治と宗教

では、実際元首相が某宗教団体と関係していたとして、その信者だったのでしょうか?そうではなく、自身の政治的信念と合致した思想の宗教団体を、利用していただけだと思います。

イスラム教やキリスト教を国教としている国の歴史を考えてみても、宗教と権力というのは切っても切り離せない関係にあります。現在でも、ローマ教皇の発言が国際政治に多大な影響を与えているのは、ニュースでも見られます。
世界を見なくても、某与党の背後に宗教団体を有している事は、公然の秘密のようになっています。それほど、宗教というのは権力にとって利用しやすいものなのです。

ところが、憲法には「政教分離原則」があります。
ある宗教を信仰している人が、その思想に基づいて合致する政治家を支持するのは自由です。しかし、政治家がその宗教の思想を利用するために、広報活動に加担するのはこれに抵触する事にならないのか、非常に不思議です。ましてや、それが首相や大臣など、政策に直接影響する人物がそうであるとなると、形の上では選挙を行っているが、全く民主的ではない某社会主義国家と、実情は変わらないのではないかという事になります。

民主主義を守るために

では民主主義を守るにはどうすればよいか?

選挙の応援演説時に、警察や自衛隊の護衛を強化して、襲撃事件が起こらないようにすればよいのでしょうか。
銃器の規制を強化し、材料となりうるものの売買を厳しく監視すればよいでしょうか。
国民が、普段の生活から警察や自衛隊に監視される仕組みを作ればよいでしょうか。
国のトップを崇拝するように敬い、その言動に対する批判は許さないようにすればよいでしょうか。

それは、多くの日本人が批判している某独裁国家や社会主義国家の体制そのものですね。
そうではなく、自分で情報を集めて調べ、自分の頭で考えて行動を決める。その自由を保証するのが、本来の民主主義でしょう。

そのために、我々も普段から与えられた情報を鵜呑みにするのではなく、どんなに驚くような事件があっても思考停止することなく、自分で情報を集め、考えて、自分なりの意見を述べられるようにする。その絶え間ない努力が必要なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?