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多くの人が、自分の言葉で文章を書けたほうが良いんじゃないかな、という話。

本格的に習ったことはないけれど、ヨガでもストレッチでも瞑想でも、まず基本として「呼吸が大事」だと聞く。何が「大事」かと言うと、共通して「吸うよりも吐くほうに時間をかける」のだという。吸う時の倍ぐらいの時間を使って吐くのが理想だと聞いたこともある。

私は、情報も同じで、入れるより出すほうが大事だと思う。
情報を出すというのは、発信者になることではない。自分の中に入れた、あるいは、入ってきてしまった情報を、適切に濾過(ろか)する装置を持つ、ということだ。
そしてこの濾過装置を言い換えると、入ってきた情報を自分の言葉に変えていく力だと考えている。

もう長いこと、人間の社会は情報過多だけれども、インターネットの普及によって拡散の範囲、スピード、量が格段に飛躍した。さらに、画質や音質が滑らかになったことで、明確に意識して見たり聞いたりしなくても、まるで皮膚から吸収してしまうように、画(え)や音はするりと私達の内部に入り込み、気付かないうちに澱(おり)のように溜まってしまう。
そして、耳タコなくらいよく言われていて、事実そうであるように、SNSには見るに堪えない攻撃的な言葉、汚いフレーズがあふれているから、その毒に当たって具合が悪くなる。油断すると、つられて自分もそちら側へ行ってしまうこともあるだろう。
ではSNSを断てば良いかと言えば、もちろんそれは解決策のひとつではあるけれど、根本的なものだとは思えない。自発的に見聞きしたくない情報、悪意がこびりついた言葉や態度は、SNSの外にも数え切れないほど存在するし、なんなら、人を妬んだり疑ったりする感情として自分自身の中で膨らんでいたりする。
生きている限り、好まざる情報を受け止めぜるを得ないなら、断つことに腐心するより、濾過(ろか)する方法を習得する方向にシフトしたほうが良くはないだろうか。どうせ吸うことは決まっている、それなら、より良く吐き出して、身も心もすっきりしたい。

そうした時に有効なのは、ネガティブなものであれポジティブなものであれ、自分が感じたことを自分の言葉にする能力だ。

入ってきたことを整理する。つまり、それが入ってきた時に、自分のどこがどう反応したかを反芻(はんすう)する。なぜ不快になった。なぜ笑ってしまった。何を思い出した。誰を思い浮かべた。それをたどって言語化する。脊髄反射的な好き嫌いで終わらせず、観察と思考と発見を目指す。それは、ゆっくりと丁寧に息を吐くことにとても似ている。

もともと感情は言語とは離れたところから生まれ、離れたところに存在している。けれどもとても不思議なことに、感情と言語は互いを必要としている。感情は言語化されることで昇華/消化され、言語は感情を燃料にして発達していく。
たとえば映画や舞台を観て、小説や漫画を読んで、誰かに何か言われて強烈に感動したとする。その状態を「感動した」と呼べるのは、たまたま誰かが発明した「感動」という表現が、わりと多くの人間の腑に落ちたから共有されて便利に使われているだけで、感情が動いたのと同時に、同じ場所から「感動」という言葉が生まれたわけではない。だから「感動した」では足りなくて「めちゃくちゃ良かった!」「自分史上ナンバーワン」「全米が泣いた」といった表現が生まれ、それらがまた広まると、自分の感動はその表現では足りない/ちょっと違う、という感覚から、別の表現が発明される。
そしてこれはとても大切なことなのだけれど、自分の感情にフィットした表現が発明できた時、とても深くて大きい快感が得られる。もしかしたら、アスリートの人が「球筋がはっきり見えた」とか「風に乗れた」という感覚と似ているのかもしれないと思うが、とにかくそれは存在する。
それを多くの人が知ったら、SNS上の攻撃の仕合も、SNS以外での争いも、かなり減るのではないかと、私は本気で考えている。

簡単ではないけれど、自分の感情の動きを上手く言語化するコツはきっとあると思う。「思う」と言うのは、私自身、文章を書く仕事に就いて結構長いのにまったくそれが整理できていなくて、とにかく毎度毎度、「この仕事を何年やっている?」とじっと手を見てしまうくらい書くのに時間がかかるし、たまに「これこれ!」と思えることはあっても、すぐに「読んだ人にまるで伝わっていない……」と落ち込むことを繰り返しているので、決して良い教師ではないのだけど、たまに巡ってくるあの快感の存在を、少しでも伝えられたらと思う。

というわけで、8月7日(金)と9月11日(金)に、調布市のせんがわ劇場主催《せんがわワークショップフェスティバル》のプログラムとして「感じたことを自分の言葉にするための演劇講座」という文章講座を受け持ちます。「演劇講座」とあるのは、課題を書いてもらう対象に演劇作品を使うからで、劇評講座ではありません。文章講座です。今まであまりまとまった文章を書いたことがない、苦手だという方も対象にしています。
具体的な内容は、短めの舞台の映像を観てもらい、それを課題に、1回目と2回目の間に劇評を書いて提出してもらい、2回目に全員分の講評をします。Zoomを使ったオンラインなので、遠方の方でもご参加いただけます。受講料は2回で2,000円。顔出しNGでも構いません。
で、やっぱりこのnoteを書くのにものすごく時間がかかってしまい、締め切りが7月31日23:59ということで、あとほんの少しなのですが、ご興味のある方は下記にお申し込みください。数人分、枠が残っています。8月1日になってしまったら……、Twitter経由で私に連絡してみてください。
https://www.sengawa-gekijo.jp/events/23779.html


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