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Pay money To my Painというバンド

私の『K』というハンドルネームは"自身の苗字から"、そしてPay money To my Painというバンドのフロントマンにして31歳という若さで亡くなった”K”というヴォーカリストから取りました。

以下、私にとってKというハンドルネームが、そしてPay money To my Painというバンドがどんな意味を持つのかを書き連ねたいと思います。

PTPとの出会い

ONE OK ROCKやUNISON SQUARE GARDEN、[Alexandros]、Official髭男dism、King Gnuなどなど。
最近は”バンド”が若者を中心に大変な人気を集めています。
CDが売れない時代に対して彼らが出した結論は、2018年には4000億円近い市場規模まで成長*1した”ライブ”でした。

私も中学時代にとあるバンドにはまり、とあるきっかけからライブに足繁く通うようになります。詳しくは以下のnoteにて。

生で観る彼らは常に全力で、その場に何百人何千人もいるのは同じバンドを愛する仲間たち。
どのライブも夢のように楽しくて、明日からまた頑張ろうと自然に思える。ライブとはそんな空間なのです。

PTPと出会ったのも2010年12月29日、当時高校一年生の私が参加した『COUNT DOWN JAPAN 10/11』というライブフェスでした。

目当てのバンドまで時間が空いたので、時間を持て余した私がたまたま入ったステージで演奏していたのが彼らだったのですが、まさに開いた口がふさがらなくなるほどの衝撃を受けました。

Stop thinking too much you are only fooling
もう考える事をやめろ,お前自身を騙すだけだ
I know you used be so tough
俺はお前がマジで強いことも知ってる

体の芯に重く響くリズム、切り裂くようなメロディ、そして魂を震わせるヴォーカル。

危険行為が厳禁のCOUNT DOWN JAPANにおいてリフト(肩車。危ない)やモッシュ(すげえハードコアな押しくらまんじゅう。危ない)、ダイブ(観客の中に飛び込むこと。くそ危ない)などの表現が自然と生まれてしまうほど、彼らのパフォーマンスは荒々しくて力強く。
それでいて、荒々しいだけではなく”弱い自分を認めた上で必死に足掻こうとする”、そんな人間の飾らない姿を描いた等身大の曲の数々は、一瞬で私をファンにしました。

PTPとの別れ

私はライブを観てすぐに、フェス内のCDショップブースで彼らの新譜の予約をします。そして翌年5月に念願のソロライブに参加。

当時一番好きだったELLEGARDENというバンドは活動休止をして久しかったので、大学受験が終わったらこのバンドのツアー全通してやろう!私はそんなことを考えながら、2012年高三の冬を過ごしていました。

しかし、別れとは突然やってくるもので。

年が明けて2013年、センター試験を数日後に控えたある日のことでした。

PTPのヴォーカリスト、Kが急性心不全によって亡くなります*

PTPは当然活動休止、私はショックのあまりなにも手に付かず、センター試験の国語が急激に難化したせいもあって、滑り止めに使うはずだったセンター試験を利用した大学入試は全滅。

なんとか大学には合格したものの、直前の模試でB判定が出ていたはずの第一志望からは二つほどランクの落ちる大学、それもあまり興味のない学部でした。

リスタートを決めた2020年8月

望まぬ大学に入学した私でしたが、結局大学では部活とゼミ活動の二つ、そして幼い頃からの夢であった”作家になる”という目標に全力を注ぎ、他はほとんど何もしていませんでした。
ゼミで専攻した分野以外の勉強内容に興味を持てなかったし、大卒という肩書きを得るためだけに大学に通うことが苦痛でならなかったからです。

結局二回留年した挙句退学をしたのですが、部活でもゼミでも胸を張れる結果を残すことができました。そして作家としての活動も”出版”という目に見える形で達成することができました。
普通の大学生活からはだいぶかけ離れてしまいましたが、充実していたと言える大学生活でした。

しかし、出版という最高のスタートを切った作家業は。
結論から言うと、相性やタイミングの悪さからかなり良くない形で終わってしまいました。
収入が不定期であるため並行して取り組んでいたWebライターの業務の方がうまくいってたんじゃねえかと思うくらい、ひどい終わり方でした。

本は想定していたより売れず、原因も分からず。編集部に頼りきりだった私は、自分1人では何も解決できないことを痛感します。

私はメンタルが豆腐なのでこのことを物凄く引きずりました。
今年8月になってようやく『独り立ちしてやり直そう』という気持ちになり、今まで使っていたペンネームを捨て、新しくゼロから始めることを決心します。ぼんやりとPTPのとある曲を聴いていたことがきっかけです。

and butterfly flies That's why she's never givin up
だから彼女は決してあきらめない
She's never givin up
彼女は決してあきらめない

Butterfly Soarsがどんな曲はこちらのインタビュー*2をご覧いただきたいのですが、”他人に笑われても諦めない”姿は、一人の人間として今の自分に一番足りていない部分でした。

ふと気分転換に聴いた、昔から何度も何度も繰り返し聴いていたこの曲にそんな現実を突きつけられた私は、この力強い曲を作った憧れの男から名前をもらうことにしました。

誰に何度笑われようと、翼を失くし地に落ちようと決して空を飛ぶことをあきらめなかった彼女のように。
私も一度や二度の挫折で全て辞めてしまうのではなく、もう一度全力で挑もう。

そしてあまりにも早すぎる別れをしてしまったKの分まで、空高く飛ぼう。

”K”という一文字のハンドルネームには、そんな意味を込めました。




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