学識と学歴と思想

今日は少し、ひとり語りをしようと思います。

学識、というのは一体何なのだろうか、という私自身の疑問に答えてみようと思います。

学識、それは学歴に比例する。
ただ、学歴とは卒業校の数や質ではないのです。
先ず学問とは何でしょうか。
学びとは生。
問の根源とは、世の中で唯一『問う』ということを覚えた生物。
手垢がついた答えであるが、人間とは学び知るものであり、言葉を借りれば「人学ばざれば道を知らず」ということである。
学問とは人間の生の入り口であります。
そして人生がたどった歴史こそ、学歴です。

どれほど悩み、どれほど学び、”何がいまの自分を作っているのか”を知っていることが学歴を持つということであり、どれほど自分の解を得たのか、それを矜持し教示できることが学識なのではないでしょうか。

はて、ならば私の学識とは何であるでしょうか。
30余年の、世間的にまだ浅い学歴の中で、なにを見出したのか。
一つに、我が正義を知る。
一つに、他が正義を知る。
一つに、悪意を知る。
一つに、厚意を知る。
一つに、生きる辛さを知る。
一つに、生きるという問いを知る。
一つに、問うことを学んだ。
一つに、自らの死ぬる恐怖を学んだ。
一つに、誰ぞの死せる悲しみを学んだ。
一つに、物の書き方を学んだ。
一つに、人を見下す恥を学んだ。
一つに、芯を折る道を学んだ。
一つに、芯を通す覚悟を学んだ。
一つに、人生を問うた。
一つに、周囲を問うた。
生きる基礎を知り、社会の仕組みを学び、商人たる知識を得て、中二病かくやとばかりに人生を問いながら、誰ぞ見知らぬ画面の先に長いあくびを打ち込んでいる。それが私の学歴だろうか。

いうに私は、次のことに自信がある。自身が知っている、景色・声・世間とその仕組みに私が思う、正解と不正解は私だけの意見であって他人に冒されるものではないと。なぜならば、わたしが生きて学んだ学識がそのように語るのだからそのように思うのです。
神についての解釈も共にそうです。
人に諭され、私が思いを改めない限り私の思う神は私の思う通りに存在し続けます。

「神は居り居らずして在り在りて居るしからばそれは人の心か」(2017年9月)
「士を以て心を示し申さねば神と通ずる道はあらんや」(同)

何が言いたいのか、ぼやけてしまいました。
学びとは、人生から得るものであり、学校とはそれを容易くする荷車に他ならないのです。
歩くより便利で、効率の良い道具に過ぎない。
したがって、学識がある者とは機関で学業を修めた者のとは言い切れないのです。

小学校、中学校の基礎教養を習得し、大学で社会学を修めた私は社会学士です。そして、わたしは修めた学問を、人生の中いまだに問い続けています。
続ける意味はただ一つ。
なぜならば、わたしは「学問を修めた者」であり「学習した者」ではないからです。
私は人生を通して自ら問うことを学んでいます。

大学で何をしていたのか。
これまでの人生で何をしていたのか。
遊ぶこと、アルバイト、就職活動。いずれも結構だと思います。
何を感じて生きて、これから何を感じて進んで行くのでしょうか。
労働もまた学びであり、就労者は自らに問い続けます。雇われることの意味と雇うことの意味を。そして利益と損益を。
労使は利害関係です。
ですからなおのこと、就労の登竜門たる面接は互いに人生を見るのです。
中卒・高卒・大卒いずれも同じく。
社会による現状の扱いについてとやかく言う立場に私はないのでそれは置きます。ただ言えることは、人生こそが学問であり、学び問うた日々に得た答えがあるのならば学識のある立派な人間であるということです。

私は三流であれ、大学という機関に所属したことを誇らしく思っています。
私が学問の意味を初めて知ったのは大学であり、学問を知ったことで、これまでに悩んできたことの必要性、幼いころから学習机の上で無意味だと周りに笑われた、感傷や悲嘆、憂いや喜びの全てに意味があったと知ることができたのですから、これほどに大きな学びはありませんでした。

しかしあの日、中退していった彼らに、進学しなかった彼らに言った「後悔しないか?」という言葉を私は今更ながら謝罪したい。もう会うこともない彼らに謝りたい。
それぞれが知っていることが違った、ということに気づけなかった未熟さを恥じています。
彼らもあの後、ずっと人生を修め続けているはずなのですから。
職も知であり、人生であるから学問なのです。

十年前、大学生の時です。
そんなことを酒の席で宣っていたときに、声が聞こえてきた。
「隣さー、意識高い系? キモ」
あぁ、今日言いたかった言葉のため、長い溜息をついてしまった。

その時私は思ったのです。
私の意識は高いのではない。君らが気に留めていないことを考えているだけだ。そんなふうに呼ぶのは止めてほしい……

学校を去った彼らはきっと、私がその夜に抱いていた気持ちを、同じように感じたのではないだろうかと、いま気付いたのです。

随分と気付くのに遅れてしまった後悔の夜。


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