観光地、南紀白浜の田舎度
こんにちは、枯木屋ユージンです
私が今暮らしている和歌山県の南紀白浜は、関西圏では比較的ネームバリューのある観光地です。
温泉街だし、夏は海水浴で賑わうし、「アドベンチャーワールド」と言うパンダで有名な動物園もあります。
でも、相当な田舎なのです。
小中学校は減ってゆき、空き家はどんどん増えています。
観光で訪れるだけなら、そうは感じないかもしれません。
奇麗なホテルや旅館、お洒落なレストラン、夏は水着の若者。
そんな光景しか見ることがない観光客なら当然でしょう。
それに昔と違って、京阪神から高速を降りずに来ることができます。
しかし、幹線道路をちょっと外れて山側へ入って行くと、野生動物と遭遇する可能性が大です。
鹿、猿、狸、猪、リス、フクロウ、オオタカなど。
まぁ、日本の田舎はどこでもそうですが。
霧の中にフワッと現れる、角の大きな雄鹿は神々しさを感じます。(奈良公園で見る鹿とは全く違う)
オオタカには気品があります。(同じ猛禽類でもトンビと全く違う)
動物に優劣なんてありませんが。
山道を車で走っていて、これらの野生動物と遭遇すると、彼らの凄さを改めて感じさせられるのです。
人や自動車が近づくと、瞬時に道路から離れ去る、その姿に。
鳥類は空の彼方に飛んで行き、哺乳類は人間なら昇り降り出来ないような森の斜面を、信じられないスピードで駆けて行きます。
人だけが取り残され、道路を離れてはどこへも行けません。
そんな時、人には彼らを上回る能力なんか何もないのだなぁ、と思うのです。
もしあるとすれば、知的能力なのでしょうが、「それがどうした」と言いたい。
そんな知能のせいで、人間の歴史は戦争の歴史だし(現在進行形)、 環境破壊を止められないし、健気に生きているこれらの野生動物を不当に追い詰めている。
人間は、地球にとって何もいい事がないではないか。
話が大きくなり過ぎました。
さて、いろんな野生動物のなかで、なんだか生活が不便そうに感じるのが、ニホンザル。
人に一番近いのに不思議です。人に一番近いからかもしれません。
両手に何か持っていて、それが子連れだったりしたら、もう不便そうで仕方ない。
「お前たち、ポケットはないのか」と、冗談ではないくらいに思ってしまいます。
東南アジアのどこかの国には、人の髪の毛を引き抜いてフロスに使ってる猿もいるのに。
ポロシャツのポケット位のことは考えられないのでしょうか? 皮膚に切れ目を入れておくこともできないし。
ここまで読み進めてくれた方は、もうイライラを感じているでしょう。
何をとりとめのない事を言っているのだと。
それにタイトルとも関係がない内容です。
観光地白浜の山道を車で走っている時、漠然とこんなことを考えながら運転しています。
野生動物と遭遇するたび、この厳しい自然環境の中、何の保証も保険もなく、人間の迫害を受けても声も上げられず、それでも気高く生きているのだなと思い、
「頑張れよ」と心の中で呟いてしまうのでした。
ではまた、次回
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