カラヤマスギ

寝食忘れないように働いてます。3年前に死産で娘を無くしました。誰にも言えなかった娘との…

カラヤマスギ

寝食忘れないように働いてます。3年前に死産で娘を無くしました。誰にも言えなかった娘とのことを語りたくてnoteを始めました。

最近の記事

おばけでもなく、にせものでもない

「おばけでもなく、にせものでもない、ほんもののいもうとがほしい。」 5歳になる娘が言った。 実際にそんな妹が彼女にはいた。ただ、実際に彼女が抱きしめる前に、お姉ちゃんとして自己紹介する前に、私のお腹の中で亡くなってしまった。 当時、長女はは2歳8か月。 亡くなつた次女は27週だった。膨らんでいく母親のお腹以外に、自分の妹を見たことも、触ったこともない。 火葬を終えたピンク色の骨壺と共に、亡くなったことを知らされたのみだ。 彼女は、保育園の同じクラスの友達に弟や妹が生まれる

    • 妊娠出産の話

      「カラヤマスギさんはどのくらい育児休業とったのですか」 数年ぶりに言葉を交わした彼女の何気ない質問に、一瞬、息が止まりそうになる。 育児休業明けの彼女は、きっと共通の話題を探してそんな質問をしたのだろう。 以前在籍した部署で一緒だった後輩。異動してからは顔見知り程度の間柄。 彼女はちょうど私が死産したのと同じ時期に第2子を無事出産しており、1年間の育児休業から復帰したばかりのようだった。 私は死産だったため、産後8週間の産後休暇のみで育児休業は取得できない。 彼女は私

      • 今日会ったお母さんと君へ

        今日、帰りの電車でベビーカーに乗った2歳くらいの男の子とお母さんに出あった。 満員電車でベビーカーが幅を利かせていたためか、お母さんの隣が空いていた。 わたしは「ここ、座っていいですか?」と聞きながらも、「はい、どうぞ」の返事と同時に席に滑り込んだ。 ちょうど亡くなった娘と同じくらいの年齢。 その子は当初、「あーあー」と広告を指さしたりしながらご機嫌だったけれど、 だんだん座っているのに飽きたのか「だっこ」と足をばたつかせた。 そのたびにお母さんが足を抑えたり、「だ

        • あなたを亡くして、私の中に育ったものは。

          死産して3年。 産声を上げないまま生まれた次女。 遺体の映像とともに、分娩した時の感触、分娩室の照明、温度までが今でも蘇ってくる。 同じくらいの子供を見ては「もし、生きていたら、どんなだっただろう」とつい考える。でも、すでに『亡い』もののイメージは膨らまず、虚しさだけが残る。 そうだ。私にはわかっている。 亡くなった次女を想っているのではない。子供を亡くした自分自身を憐れんで、悲しんでいる。 周りには妊娠出産のニュースがあふれ、 何人も子供を抱えた人が疲れた顔で、でも

        おばけでもなく、にせものでもない

          亡くなった娘のこと

          亡くなった娘はお腹の中でよく動く子だった。 姉である長女がお腹の近くに来た時など、どんどんどんどん、とお腹からとびたさんばかりに動いていた。きっと彼女は、ねーねが大好きだった。 彼女のことをほとん語ることが出来なかったのは、私がずっと自分を恥じていたからだ。 生きた子供が産めなかったこと。 亡くなったを子供見て、可愛いと思えなかったこと。 子宮内胎児死亡宣告から 私は勝手に作り上げられた母親像に縛られていた。 でも、彼女に出会ったのは出産後だけではなく、エコーで初めて

          亡くなった娘のこと

          私と誰も知らない娘とのこと

          冬の終わり。 街路樹の木蓮の蕾が膨らんできた。冬の薄い水色の空にグレーの毛玉みたいな蕾。 だんだん柔らかく膨らむその蕾とは対照的に私の肩が、首がぎゅうっと縮まる。胸の中心が暗く、重たくなる。 身体が思い出している。 2年前のこの季節に私は子供を失った。 子宮内胎児死亡。28週での死産だった。 生きて産まれてくることを疑っていなかった。 幸いにも妊娠のチャンスを得て、子育てに不安を覚えながら、大きくなっていくお腹を抱えて、出産の日を待ち侘びていた。 ボコボコと元気にお腹を蹴る

          私と誰も知らない娘とのこと