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vol.145 宇野千代「おはん」を読んで

二人の女の間で揺れる大変身勝手な男心を描いた物語。人情味あふれる上方言葉の文章を楽しみながらも、古い時代の女の献身的な愛に戸惑いながら読む。

<内容>
主な登場人物は3人。語り手の懺悔(ざんげ)のように自身の行いを情けなく語る男「私」。芸者屋を営む「おかよ」は「「私」の愛人で7年間共に暮らしている。タイトルの「おはん」は、「私」の妻で、ぐうたらで自分勝手な夫「私」に逃げられるも、親元へ引き取られた後に「私」との子を産み育てる。ある日妻の「おはん」と7年ぶりに橋の上で再開してから、物語が動く。二人は再び寄りを戻そうとするが、その際、二人の子ども「悟」を・・・。(内容おわり)

監督:市川崑  出演者:吉永小百合 石坂浩二

この物語、時代も場所もはっきり書いていない。しかし、妻は、夫だけに頼って生きるしかなかった。女性は教育を受ける機会もなかった。おそらく「おはん」が生きた時代は、江戸末期か明治始めの頃なのだろうか。いずれにしても、フェミニズムという概念は理解されない時代っだったと思う。

宇野千代の「八重山の雪」は、危なっかしいけど自分の気持ちに正直に行動する女性が描かれていた。「おはん」は、一見男にすがっって生きるしかない女性だけど、夫の愛人「おかよ」に対しても、逃げた夫に対しても、献身的な愛の奥に女性の意地やたくましさを感じた。

巻末の萩原葉子(小説家)さんの解説がおもしろかったので、書き留めておく。

「理屈を捨ててどこまでも夫についていく女房と、自分の女房を愛してはいるが、どっちか片方だけと言われれば、世間の目を気にして会わなければならない、もう一人の女の方を取る。だがその女が正妻となり堂々と会える身となった瞬間、その女より日陰の女の方に心が奪われる。そんな勝手な夫であっても、じっと耐え続けて待つ女房、秋の夜長に帰ってこない夫を黙ってまつ女の哀しさ、そんな女の哀しい胸の中にも、負けて勝つ女の喜びと幸福があるのではないか」

中公文庫
宇野千代 山口県岩国市

小説を現実と引き合わせて考えるのは愚かなのだ。描かれた世界の中で楽しむ。道徳的に許されなくてもいい。「醜い」と「美しい」を入れ替えて描いてもいい。それがフィクションで作り上げた小説の醍醐味なのだ。

そういった意味で、現代にはもういない過去の女の息づかいを感じながら、宇野千代さんの写真を眺めた。

おわり

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