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vol.147 西村賢太「苦役列車」を読んで

西村賢太が中学卒業後の日々の暮らしをもとに書いた小説。大半が事実だという。2011年の芥川賞受賞作。

<内容>
主人公は北町貫多、19歳。中学卒業後、日雇の港湾人足仕事につく。友人はいない。すぐにキレる。仕事はサボる。嫉妬心が強い。母親の金にすぐにたかる。時には暴力的に奪う。家賃を数ヶ月滞納したあげく、行方をくらます。稼いだ金は酒と風俗につぎ込む。(内容おわり)

自分の内面にあるくすぶった感情がありのままに曝け出している印象で、このリアルで赤裸々な世界に強烈に引き込まれた。

貫多は決して現状を変える努力をしない。向上心がない。ただひたすら卑屈さと自己嫌悪だけをぐう直にさらし続ける。その描写は古風だ。文学的な気高さも感じる。近代文学とはまた違う奥深さもあった。

この西村賢太という作家、43歳で芥川賞を受賞しているが、彼の育った環境に興味がいく。

NHK 〜破滅の無頼派・西村賢太〜(引用)

1967年生まれの彼の時代、彼が中学を卒業した1980年代前半、高校進学率は94%だった。中学卒業後、母子家庭となった母親から「一人で生きていく」ように言わた。やむなく働き口を探す。しかし履歴書も書けない彼は、中卒では入口ではじかれる。ましてや父親が性犯罪者だ。友人も恋人もできない。そんな彼の境遇を誰にも相談できない状況があった。せいぜい日雇人足に滑り込むことで、なんとか食い繋ぐことがやっとだった。仕事も長く続かず「無職・時々仕事」という日々が長らく続く。そんな中、なんとか古書店で働く機会を得て、文学に出会う。そして、中学卒業頃の日々の暮らしをこの「苦役列車」に記録する。(Wikipediaなど参照)

芥川賞受賞時の西村賢太

結果的に中卒の彼は文学との出会いがあったからこそなのだろう。しかし、北町貫多のころ、母子福祉の窓口でも生活保護の窓口でも、学校の教師でも、彼に高校進学の方法を教えなかったのかもしれない。

今、京アニ放火殺人の青葉被告のルポが朝日新聞で連載されている。どこか北町貫多と重なってくる。

青葉被告は幼少期に親の離婚や父親からの虐待があった。社会に出てからも「一人前」を目指し努力したが、《はい上がろうとすると必ず横から足を引っ張ってくる人間がいて、うんざりしていた。》と裁判の中で語っている。妄想の中で、「つっかえ棒」がなくなった彼は、失うものが何もなくなり「無敵な人」になってしまったようだ。決して許されないが、社会的背景を考える必要もあるように思う。

北町貫多も青葉被告も、周りから、社会から、「一人前が当たり前」を強要されていたのかもしれない。

僕もそう。

就職して、結婚して、育児して、マイホームや車を買って、という典型的な戦後家族を歩むことが当たり前だと思っていた。そうなれない人は「不幸」だと、なんとなくの圧を感じていた。今思えばそんな人生像は欺瞞ぎまんだ。

もうすぐ2月5日。彼が亡くなって2年になる。「苦役列車」の頃を決して不幸だとは思わない、中卒・西村賢太の堂々とした生き方が詰まっている「私小説」をもっと読みたい。

おわり

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