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vol.115 チェーホフ「かもめ」を読んで(神西清訳)

ずっと若いころ、何度かアングラ風の演劇を見たことがある。小劇場から伝わる印象はどれも暗かった。人間の心の奥にある葛藤を誇張的に独白したものや、理不尽な社会を描きながら誰かに共感を求めるように手を広げ、薄暗い舞台にたたずむ俳優を思い浮かべる。

この戯曲「かもめ」は、1896年秋、サンクトペテルブルクの劇場が初演らしい。僕は、ゴーゴリの「外套」で、襟を立てうつむき歩く小役人「アカーキイ」が住む街の、少し荒んだ劇場を想像した。

<内容>
夢見る若い純真な二人が、俗っぽい中年に翻弄され、自分たちの生き方を見失っていく。作家志望のトレープレフと女優志望のニーナはかつて恋人同士だった。しかし、彼の母親アルカージナと、母親の恋人であり有名作家のトリゴーリンは、自分の恋や名声に浸り、その思考は俗っぽく、新しい形式を目指す若い二人に悪い影響を与えていた・・・。

僕は登場する4人の女性の生き方に興味を持った。

女優を目指し、有名作家に恋をしながらも上手くいかないニーナ、大女優としの評価を得て、有名作家と恋をし、息子とは距離を取るアルカージナ、片思いの辛さに耐えきれず、好きでもない男と結婚するも、しっくりこないマーシャ、家庭を投げて産婦人科医との関係を重ねているポリーナ。

4人とも恋に忙しく、仕事や女性として躍動的に生きていた。

一方、男はみんなボヘミアンの洞窟のような世界に縛られ、どこか痛々しかった。

僕には、登場人物はみんなどこかぎこちなく生きているように感じた。四苦八苦していた。自分を不甲斐ないものと、狭い世界の中で妙に悟っていた。

第二幕で、トレープレフが猟銃で撃ち落としたカモメをニーナの足もとに置き、「おっつけ僕も、こんなふうに僕自身を殺すんです」と、苛立っって彼女に伝えるシーンがある。

印象的なシーンだった。

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実際のカモメは、大きな翼を広げ、遠い国からも飛んでくる。風に乗り自由に空を舞い、餌を見つけたら水面に降り、泳ぐこともできる。対照的に、この戯曲「かもめ」に描かれた人間は、狭い世界の限られた人間関係の中で、人と人とのすれ違いに思い悩んでいる。

港町で生まれ育ったチェーホフは、大空を自由に飛ぶカモメに憧れながら、狭い世界の中で苦悩する人間を「かもめ」で描いたのかもしれない。・・そんな解説は見当たらないけれど・・。

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なんだか自由に空を飛ぶカモメを見たくなった。この冬、カモメを見に寒い海岸に出かけてみようか。なんならウミネコでもいいんだけど・・・^ - ^。

おわり

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