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vol.95 ジッド「狭き門」を読んで(中条省平・中条志穂訳)

人を愛することと、信仰に忠実であることと、相反するものなら、僕は神様なんかいらない。

概要
いとこ同士のジェロームとアリサは幼い時から、プロテスタントの厳しい教育の中で育った。聖書を読み合い、語り合っていた。思春期に二人は互いを意識するようになる。アリサは、母の不倫と駆け落ちを知り、その後の人生に大きな影響を受ける。ある日、聖書の1節にある「努力して狭き門からは入れ」を牧師から説かれ、徳を高め、神の至福の世界に入ろうと決意する。
やがてジェロームは兵役に服し、その間、アリサと手紙のやり取りをする。再会するがアリサは、ジェロームへの愛と、神への愛との間で悩み苦しむ。そして彼女は、心と命を神に捧げた。アリサの死後、アリサの日記を読んだジェロームは、一生アリサ以外の人を愛せなくなった。(1909年発表:概要おわり)

この悲恋の恋愛小説の中に、たくさんの疑問が浮かぶ。

どうして、人間なのか神なのかのを選ばないといけないのだろうか。

厳しい戒律って誰のためにあるのだろうか。美徳って誰の価値なのだろうか。誰かを愛する気持ちは尊いはずだが、信仰はそれを邪魔するものなのだろうか。性的なものを悪の誘惑と捉えるって不自然だ。自己を犠牲にして徳を追求することが、神の教えなのだろうか。

人を愛することは美しいと思っていても、同時に、性とのつながりを持つことに嫌悪するアリサの苦悩が、手紙ににじみ出ている。アリサの性への恐怖はどこから来るのだろうか。母親の不倫なのか、ジェロームの存在自体なのか。

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解説に「フランス語の美徳とは、『意志の努力によって道徳的に正しい行為を成し遂げる資質」とあった。アリサの行動は正しい行為なのだろうか。そうは思えない。アリサは純粋すぎるのだ。自分を犠牲にする信仰なら広まらないと思う。

ジェロームの言葉に、厳格なプロテスタントの教えを受けたジッドの思いが重なる。

「他の人が楽な道を選ぶのと同じくらい、苦しい道を選ぶことが自然だった。厳しい規律を無理やり守らされても、僕は不快に思うどころか、むしろ嬉しい気持ちになるのだった。未来の幸福を求めるより、未来の幸福に向かうための絶え間ない努力を欲していたので、美徳をすでに幸福だと思い込んでいた」

幼い頃から聖書を語る二人が、こんな会話を交わしてる。

「あなたのそばにいると、これ以上ありえないと思うほど、幸福に感じるの・・・でも、本当のことをいうと、わたしたちは幸福になるために生まれて来たんじゃないわ」「幸福よりほかに魂は何を望むんだ?」僕が思わず叫ぶと、アリサはこうつぶやいた。「清らかさ・・・」あまりに小声だったので、僕はそれを聞いたことより、察したのだった。(p172)

これはきっと神様が仕組んだ「美徳」という罠に違いない。

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僕は、神様を愛する前に、自分を愛したい。好きな人と共に生きたい。ジッドも同じ思いに違いない。

おわり

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