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vol.141 庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んで

東大紛争に翻弄される日比谷高校3年生「薫」くんの物語。

東大に進学するつもりだった彼の、ついてない1日(1969年2月9日日曜日)をしゃべり言葉で語る構成。第61回芥川賞受賞作。

なんのために大学に行くのか。自分はどう生きようとしているのか。自分の言動と内面との違和感。大人たちへの不信感。10代のころ身に覚えのある心の葛藤だが、その時代背景に興味がわく。1960年代の青年の目を通して、当時の揺れ動く価値観のようなものを考える機会にもなった。

<内容>

東大紛争による東大入試中止という事態に直面した「薫」くん。東大受験をやめることを決心する。そのことを幼馴染の「由美」に伝えることができず、喧嘩別れ。東大入試は流れ、前日に愛犬が死に、足の爪が剥がれる。美人の女医の誘惑から逃げ出す帰り道、近所のPTA的奥さんの一方的な話にうんざりする。

1970年公開 監督:森谷司郎

ようやく家に着くと、小説家志望の友人「小林」が訪ねて来てる。彼の悩みを聞かされる。心をかき乱された気持ちのまま、銀座の人混みの中を歩き回る。そのとき爪が剥がれている指を一人の少女に踏まれる。その女の子に、「赤頭巾ちゃん」の童話の絵本を選んでやる。そのことによって、少し自分の悩みから解放される。夜になって冷たい北風が吹く中、「由美」に会う。大学進学をやめる自分の意思をようやく伝えことができる。(内容おわり)

このついていない1969年2月9日(国立大学の入学願書受付期限の前日)の出来事を、だらだらとした感じで話す「薫」くん。彼を通して当時の社会の中にスッと入っていく感覚があった。

1969年 東大紛争 安田講堂

「薫」くんは、大学というどこかうんざりする制度の中に身を置くことに疑問を抱く。自分の知性を育てることは、大学の外でもできると、進学をやめる。移り変わる時代の流れを「狂気の時代」と表現する。東大受験は、刺激の強さを競い合う「絶対値競争」を引き起こしている。その競争に乗らない他者を「非難し虫ケラのように侮辱する」。受験生を分断行為に向かわせている。

著者の時代の進展に対する強い問題意識を感じた。

特に、第8章の小説家を目指すことをやめた「小林」くんの言葉に、そのメッセージが強く込められていた。

「絶対競争には全く自信がないんだ。それからおれは、そんなあさましい弱点や欠点暴露競争に参加する気にはどうしてもなれないんだ。今や狂気の時代なんだそうよ。つまり、知性じゃなくて感性とかなんだ・・・」(p134)

そして第9章で「薫」くんが見せる苛立ちはすざましい。

激しい演説とシュプレヒコールとデモを繰り返す果敢な彼らを見て、

「彼らは本当に自分の頭で自分の胸ですべてを考え尽くして決断したのだろうか。そうだとしても彼らはその行動に責任を、何より自分自身に対する責任を取れるのだろうか」と、彼らに苛立つ。

そうなれない自分にも苛立つ。

「薫」くんの苛立ちはどこからきているのだろうか。大きな主語で敵を作って、自分の立場を正当化することから始まっているようにも思う。

54年経った今、「薫」くんの苛立ちは解消されたのだろうか。

少しづつ変わってきた社会が今はあると思う。

目の前の社会課題の解決に役立ちたいと思っている若者が増えているようにも感じる。知性を育む方法は、大学だけじゃないと思える社会がきているようにも思う。

新たな課題は続くだろうけど、いい方向であると願う。

おわり


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