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2023年に向けて、これまでを振り返る (下)

どうも、Kabaddiです。

12月25日にCAROLAN'Sから発表があった通り、2023年はバンド結成10周年。
ライブに配信リリースに・・盛り沢山な内容でお送りする予定です。

現段階ですでに予定のボリュームが多いので、忘れないようにカレンダーも作りました。

セブンネットプリントで年明け1月1日の23時59分までダウンロード・印刷可能です。お近くのセブンイレブンでぜひどうぞ。(100円かかります)
年間カレンダーにしたので毎日見て毎日CAROLAN'Sのことを思い出してくださいね。

さてさて。
来年の10周年に向けて、これまでの9年間をゆっくり振り返ろう企画、今回は最終章、上中下巻の下、2019年から今年、2022年までを語ります。

2019年

2019年を今振り返ってみると、とにかく忙しく過ごしていた、というのが正直な感想です。
前年2018年の11月にすでに告知していたように、2019年4月には2nd E.P.のリリースパーティーを予定しており、構想の中ではすでにその時点で2nd E.P.リリース後の3rd singleリリースまで見据えた一年として動き始めました。

まず1月にMVをリリース。

MV第1作目「求愛のダンス」から久しぶりの監督・脚本・編集まで手がけたMV。
しっかりコンテを切って、思い描いたものが出来上がりました。
ストーリーがあるわけじゃないですが、バンドの空気感だったり楽曲の疾走感を表現できたと思っています。
今一度見てみてください。

2月、3月は都内各所でライブしながら、いよいよ4月。リリースパーティーを迎えます。

想像していた以上の人に来場いただき、ある方からは「ひとつステージが上がったように思う」なんてありがたいお言葉をいただきました。

リリースパーティー当日に「50日で50人に届ける」というコンセプトで都内近郊ツアーを回ることを発表。
5日経過時点でオンラインでの注文も含めていきなり32枚を達成。
マミーと二人で手を取り合って喜んでいました。
ライブ会場で手にしていただいた方ももちろんですが、想像以上にオンラインの注文が多かったこともあり、嬉しい誤算というか、発送作業に追われる日々が続きました。
結果的にはチャレンジ開始から22日で54枚に達し、無事コンセプトを実現し、多くの方に手に取っていただくことができました。
改めてこの場でも御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
チームCAROLAN'Sの皆様、これからもよろしくお願いします。

チャレンジ成功と同時に、計画していた3rd singleのリリースパーティーを9月に行うことを告知。これもまた遠めの予定を意識したイベント告知の思想です。
2nd E.P.から3rd singleまでを繋がった動きとして見せたかったのでかなりスケジュール的にはタイトな状態で進めていたかと思います。

その間の6月には3年ぶりとなる野外公演に参加。
稲毛海浜公園野外音楽堂でライブに臨みました。
当日は生憎の天気ではありましたが、どうにかCAROLAN'Sの演奏自体は荒天にならず、その後雨が降り出したのは苦い思い出ではありますが、やっぱり野外はいいよなあとしみじみ雨空を見上げていました。
野外、またやります。必ず。

7月、8月とライブも入れつつレコーディングもして、さらにはまたMVもリリース。
3rd single「alcohol」のMVもまた、自分自身で監督・脚本・編集を担当しました。

演奏シーン一切なし。コンセプトは東京山手線沿線の駅をアルコール片手にただただ練り歩くというもの。
着想としては、「最近街で歩きながら飲む輩が増えたよなーなんか苦手だなそういう奴」と感じたところから逆説的に始まっています。
今になって思うと、コロナ前の東京を克明に切り取った資料映像的な意味合いも強くあろうかと思います。
こちらも今一度ご覧くださいませ。

そしていよいよ9月のリリースパーティー。
これもまた一捻り加えて、CDのジャケットは作らずにA5サイズのクリアファイルに綴じてお渡しという形を取りました。
ライブハウスに行くと、当時はフライヤーを山ほどもらうことがあったのでそれをまとめるクリアファイルが欲しい、と自分で思ったのがきっかけです。サイズとしても面白いですし、デザインも良くてアイデア自体は今でも気に入っています。

このあたりの自分の脳はかなりスパークしていたので、すでに次の動きを考えていました。
ライブハウスでのライブはもちろんやっていきたいし、生でのやりとりは自分が求めている「音楽をそれぞれが独立して楽しむ」というコンセプトの実現に最も近いものです。
ただ、ブッキングライブや仲間のバンドのイベントへの出演以外にも、演奏自体を見せる自分たちだけの場を持ちたいと思い始めました。
それが、2022年の今現在まで続いているONLINE LIVEです。
第一回がこちら。

場所にとらわれない、オーディエンスとの交流の場の選択肢の一つとして用意しました。というかその時点ではそのつもりでした。
まさか翌年以降、それが主流になる時期が来るとは全く予見できていませんでした。誰も。

ONLINE LIVEと合わせて、先行してリリースした曲の大部分をサブスクリプションサービスで改めて配信リリースすることで、全く見ず知らずの人にも聴いてもらえる機会が増えたことから、マミーさんと話す中で、、2020年には配信リリースと実際のリリースを組み合わせたリリースの形に挑戦してみよう、ということで2019年は幕を閉じました。

2020年

2020年、初頭からレコーディングに入ります。
前年にマミーさんと相談して決めたCAROLAN'Sとしての当初の計画は以下の通り。
◆4月・5月・6月で3ヶ月連続配信リリース
◆7月に配信曲+3曲の合計6曲のE.P.をリリース
◆E.P.リリースパーティーを7月に行う
◆合間にONLINE LIVEも行って自分たちだけのライブ空間を作る

1月、2月はそれなりにというか計画に沿って進めていましたが、3月から雲行きが怪しくなり始めます。
新型コロナウィルスが!みたいな声がどんどんと大きくなってきて、まずライブハウスが槍玉にあげられ始めました。
計画の見直しをするかどうか悩む日々に、一件のオファーが届きます。

それは前身のバンド、つまりはCAROLAN'S結成前の2012年以前から出演していた新宿レッドクロスのブッキングマネージャーからの連絡でした。

「こんな状況になっている中ですが、出演バンドが足らない日があって、助けて欲しい」

というものでした。
正直、最初は断ろうと思っていました。
メンバー・サポートメンバー含めてスケジュールの確認は取れましたが、当時は圧倒的に情報が不足していたこともあり、とにかく不安で日常が塗りつぶされていた時期。
そんな時にライブハウスに出る・・自分たちにその決断をする勇気が出ませんでした。

マミーさんと連絡をとって、「じゃあ、、残念だけど断っておくね」とLINEを返して一晩寝て、朝起きた瞬間に完全に気が変わりました。

2020年3月当時、各方面から批判を浴び始めていたライブハウス。
それに今、出演しないと決めるのは簡単なことなのかもしれない。けれど、もしかしたらこれからライブハウスというものが、ライブというものがなくなってしまうんじゃないか?大事にしているもの、大事だと思っているものがなくなってしまう、そのひとつのきっかけになってしまうんじゃないだろうか?
という思いがどんどん強くなっていきました。
すぐさまマミーさんに前言撤回の旨の連絡をして、安全には十分注意して出演することにしよう、と相成りました。

当時の告知に使用した画像がこちら。

悩みに悩んでの出演ではありました。
知人からも「本当に出るの?」や「出ないほうがいいよ」など個別に連絡もいただきました。
しかし、逆に「出るなら行きます!」だったり「出番何時から?」といったご連絡もいただいた中で、自分たちがライブハウスを応援するという姿勢を示したことに意味はあったんだと言い聞かせながら当日を迎えました。

それまでにはなかったような異様な緊張感のある一日だったと思います。
すでに街から人は消え始めていて、不穏な空気が漂っていました。

ライブそのものはその後配信リリースする予定にしていた新曲も初披露しながら、自分たちとしてできることをした、というステージでした。

そこから。
一ヶ月もしないうちに状況は急転直下に悪い方に進んでいき、いよいよ緊急事態宣言。

予定していたレコーディングも日程を延期。
しかしながら、運良く配信リリースという計画を立てていたこともあり、バンドとして動きは止めずに進めていくことができました。

一番最初の緊急事態宣言が明けて、まだまだ不安の残る日々を送りながらも、延期した分のレコーディングをしつつ、7月のリリースパーティーの是非について会場となる下北沢ろくでもない夜と相談して、配信ライブという形式に変更したのもこの時期です。
配信ライブになったということは、盤面を作ってお渡しできないということ。
であれば、当初の配信3曲+新曲3曲ではなく、都合6曲を配信リリースしてみんなに届けよう!となり2020年6ヶ月配信リリースに企画を変更しました。

さらに。
配信ライブ全盛期を迎えたライブハウスシーンでCAROLAN'Sにもうひとつチャンスが回ってきました。

キャリア初のワンマンライブの機会をいただいたのです。
これまた昔から世話になっていた池袋admでの配信ワンマン。

6ヶ月連続配信リリースの途中でもあり、2019年に出した曲もたくさんある。
それまでの積み重ねを、生でライブハウスでコミュニケーションができない状況を、そんなやさぐれた心を打破するには格好のチャンス。

ありがたくオファーを承諾し、当日までひたすら準備、準備。
長尺のライブは過去にもやっていたことはありますが、あくまで3MANでの1時間弱が限度。
ワンマンでどう見せていくか?ということも考えながらのセットリスト決めと、実は6ヶ月配信リリースの曲が足りていなかったので急ピッチでの楽曲制作も並行して行いながら、、というかなりの強行軍でした。

5月あたりを外出自粛の中、家で時間に余裕を持って過ごしていたとは信じられないくらい忙しい日が続きました。

ワンマン当日にはありがたいことに多くの方に観ていただくことができました。
この場を借りて、というかこの場でもう一度お礼を言わせてください。
本当にありがとうございました。

ワンマンを8月に終え、その映像があまりにも良かったので、配信リリースしていた曲の中からピックアップしてライブMVを10月にリリース。

いつ見ても最高画質、最高音質です。
ワンマンを終えた後も言っていましたが本当に全部一発撮りのMVのような緊張感で、本当に楽しかったです。
ライブでの生のコミュニケーションとはまた少し違った、映像作品を残すという表現にだんだんと自分たちが慣れていくのを感じました。
それは、そうなることを予見していたわけでもなく2019年末から始めたONLINE LIVEという下地があったからだと思います。カメラに向かって、画面の向こうに確かにいる"あなた"に向かって命を燃やす、ということをやってきたからこそできた配信ワンマンでした。

同じく10月に4月から続いた6ヶ月連続配信リリースの終了を記念してONLINE LIVE を敢行し、この年の活動は終了。

2021年

まだまだ不穏な空気の残る一年の始まりは、2016年から出演していたTHE JIVE NIGHT。

変わったものも変わらないものも全部抱きしめて踊って行こう、そんな気持ちで臨んでいました。

これは別のnoteにも書きましたが(今は訳あって非公開にしていますが)、この頃から歌うときの声に違和感が生じ始めました。
今までのように無意識にというか、自然に歌うことができず、小さな違和感に神経を持っていかれてしまい、ひいては声が出ないことにパニックになって全身から汗が吹き出してくる、そんなことがリハーサルスタジオで何回もありました。
「次は出るだろう」「来週は出るだろう」と思いながらスタジオを重ねても、出ない。
伝手を辿って理学療法士に体を診てもらって、「歌を歌う時に物凄い緊張状態に入っている」と言われ、リラックスする方法やルーティンを一緒に考えていくもすぐには効果が出ず。
悩みに悩んで、マミーさんに相談しました。

いっそのこと他にボーカルを入れて活動するなり、CAROLAN'Sではないバンドでマミーさんがウッドベースを弾いていく、というのも当時の自分としてはあり得ると思っていた中で、マミーさんからの返事はシンプルなものでした。

「じゃあちょっと休もうよ。KabaddiがボーカルじゃないのはCAROLAN'Sじゃないし、他のバンドもやる気ないし。」

目頭が熱くなる、というのはああいうことを言うんでしょうね。
涙が溢れたわけではないものの、完全に泣き顔をしていたと思います。
マミーさんが相棒で本当に良かった。今でも思うし、これからも思い続けるでしょう。
この文章をマミーさんが読んでない可能性はかなり高いけれど、言わせてください。本当に、本当にありがとう。

相談の上、5月にライブ活動休止についてのお知らせをしました。
自分ではどうしても文面を考えることができなかったので、マミーさんに考えてもらったシンプルなメッセージになっています。

マミーさんからのありがたい言葉や休止という時間をもらったからと言って、すぐに問題が解決するというわけでもなく。
試行錯誤を繰り返して、少し前進してはまた後退し、少し前進してはまた元の木阿弥・・という期間がそこから続きます。

正直な話、まあ長くても夏くらいとか、9月くらいには復活して2021年内にはどうにかなるだろうと思っていました。
が、状況は思ったより深刻で、どうにもならない毎日が続いていき、自分自身どんどん追い詰められていくのを感じていました。

マミーさんに「他のボーカル入れようよ」と言ったのは記憶にあるだけで3回あります。

その度にちゃんと否定してくれて、時間をくれたマミーさんには本当に感謝しかありません。

同時期に一緒に食事に行った人たちからも同じような言葉をかけてもらえたことも本当に嬉しかったです。
いま、こうして半ば過去の話としてこのことが書けているのはマミーさんも含めたそういう人たちのおかげです。本当にありがとう。

2021年はライブ活動を休止するとアナウンスしたものの、バンドとしての活動は止まってないので、というか活動は止まっていないことを思い出してもらうという意味も込めて、12月にMVをリリース。
2016年にリリースした「YES or NO」と「Handover March」のディレクター陣を迎えての5年ぶりの作品です。

MVに合わせてデジタルリリースと称してサブスク配信も開始。
この曲は、当時の悩みに悩んだ心の内の断片だったり、しばらく会えていないお客さんの皆さんの顔を思い出しながら歌詞を書いていき、レコーディングででもものすごくエモーショナルになりながら、魂ごとぶち込んでまるごと曲にしたような、そんな作品になりました。
たくさん聴いてください。

2022年

不遇の2021年が明け、2022年。
さて今年は!と思ったもののやっぱり声は思うように出ず。
多少出るようにはなっているのでとにかく期限を決めてみよう、とマミーさんと話して、4月になった段階で、Kabaddiとして「いける」と判断すればライブ活動を再開しよう、という方針になりました。

2021年の3月からずっと続けているボイストレーニングも続けながら、心身ともに健康な状態を目指して日々を送りつつ、曲も作りつつ、みたいな毎日でした。

そして迎えた4月。
正直個人的には100%戻ったと断言するには無理のある状態ではあったものの、「元に戻る」ことを目標にしていてはいけないんだ、とようやく気がつきました。
気がついたら「今の自分はこうで、ここからまた始めるんだ」という気持ちで歌うことができるようになっていました。
その変化をマミーさんにも話して、「じゃあライブ、やろう」となったタイミングでオファーが舞い込みます。

ずっとお世話になっているライブハウス、下北沢ろくでもない夜から6月に。
ずっと出演してきていたイベントTHE JIVE NIGHTから7月に。
2020年にライブハウスの意味やライブの意義を考えさせてくれるきっかけになった新宿レッドクロスから10月に。

これはもうぜひ!ということで飛びつきました。
本当にオファー、ありがとうございました。

ライブ当日お越しいただいたみなさん本当にありがとうございました。

大袈裟じゃなく、1年半ぶりにステージに立ったときは鼻の奥がツンとしました。

やっぱりここにいたくて、ここから伝えたいことが山ほどあって、それを受け取ってくれた人がそれぞれ独立して楽しんでいる姿を見るのが大好きで。
その時にCAROLAN'Sの音楽を鳴らしていたくて。

辞めるもんか、と心が叫んでいました。
いつまでも辞めるもんか、と魂が震えていました。

ライブ活動休止期間を経てもなお、自分の中で確かに鳴っている「やりたいこと」と「やりたい音」を届けていきたい、そう思った自分がいました。

2023年へ

長くなりましたが、これがCAROLAN'Sのこれまでの歩みと、自分が感じてきたことです。
上中下巻とか言っておきながら下巻のボリュームだけ段違いになってしまったことを心よりお詫び申し上げます。
直近のことだから文字数少なくなるかと思っていましたが全く逆でした。

さて、振り返った9年間が通り過ぎて、いよいよ2023年が来ます。
CAROLAN'S結成10周年がやってきます。

CAROLAN'Sでどれだけみなさんを楽しませられるか。ワクワクさせられるか。
今回9年間を振り返ってわかったこと。
それは、大切にしてきたのは「楽しませたい」という点だったこと。

目の前にいるあなたを楽しませたい。
あなたに笑顔になってほしい。
あなたに、何からも自由になって踊れる場所を用意したい。

そのために何ができるだろう。
いつも考えています。

これからもCAROLAN'Sはあなたの味方です。
どうか、一緒に楽しみましょう。

2023年、本当に楽しみです。
今夜はこの辺で。

CAROLAN'S
Kabaddi

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振り返りnote

Twitter:https://twitter.com/KabadieCarolan 2019年9月より毎日更新継続中。日常の何かを切り取って考察や分析をしてみたり、提言したりしています。よければ読んで、よければスキを押して、フォローしてリアクションメッセージをご確認ください。