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酒と依存

実は先日お酒を飲むことをやめました。禁酒でも断酒でもなく、半永久に「やめる」ことを選択しました。5月28日を最後に飲んでいないので、もう1ヶ月が経とうとしています。


人生において、酒は付き物だと思います。オタクとしては、ライブ終わりの飲み会が何よりも楽しみだという人もいるでしょうし、僕もライブに帰ってからチェキを見ながらの晩酌が生きがいでした。


しかし、それでも「やめよう」と思ってやめてみた結果、経緯と思ったことについてまとめさせてください。


お酒をやめる前


僕は「飲む」という行為が大好きです。なぜかそこそこ飲める体質なのもあって、学生時代は死ぬほどお酒を飲んでいました。基本的に人付き合いも、酒を中心に構成されていました。


さらに、緊急事態宣言になって気づいたことがあります。それは自分が好きなのは人と飲むことではなく、「酒を飲んで酔っ払うこと」なのだということです。結果人と合わなくても自宅で一人飲みを普通にするようになりました。


お陰でいろいろと弊害が起こりかけていました。飲んだ後、その日は一切使い物になりません。翌日も二日酔いが酷くて、午前中はまともに動けない日もありました。


「なんとかしないと」という感覚が頭の中にありましたが、それでも毎日飲んでしまう自分に絶望し、酷い自己嫌悪に陥っていました。


お酒をやめるきっかけ


始まりは、YouTubeで中田敦彦さんの動画を見たことでした。

動画の内容は、以下のような感じです。

・薬物としてのアルコールの依存性は、「コカインよりは低い」くらい
・今は合法なだけで、今後WHOが取り締まる可能性がある
・真面目・頑固・完璧主義ほど依存性になりやすい

ここでどうやら自分は「習慣飲酒」という、依存症に片足を突っ込んだ状態であることを知りました。


中でも自分に突き刺さったのは次の言葉でした。

酒を飲むなって言われると「生きている喜びが奪われた」と感じてしまう人がいる。でも酒がなくなっても人生の喜びは沢山あるし、逆に酒によって喜びが奪われているかもしれない。

これをきっかけに「お酒、やめてみてもいいかな?」と感じるようになりました。




しかし、飲んでいた人の話も知りたくなりました。そこで読んだのは、小田嶋隆さんの『上を向いてアルコール』という本です。


特に刺さったのは、酒が無くなった人生への虚しさへの嘆きでした。

4LDKの家で2部屋で暮らすようなもの。翼をなくした鳥に「どんな気持ちですか?」と聞いてみればいい。

どうやら酒をやめる事に対してはメリットもデメリットもあるという事が分かりました。


でも僕の頭の中には「早く酒から解放されて自由になりたい」という思いがありました。


そこで、今の自分に酒が必要なのかどうかを確認するためにも、やめてみることにしました。


お酒をやめた後


結論から言うと、意外とあっさり辞められました。離脱症状というのも、夜に少し寝入りが悪いくらいで、それも1週間もすればなくなりました。


でも、まだお酒を飲むのは好きなんだと思います。疲れて家に帰ると、「こんな日はプレモルが美味しいんだろうな...」と思ってしまう事もあります。


それでも他の事をやっていれば時間は過ぎるし、寝起きもスッキリしてて、「やっぱり自分の生活に酒は要らなかったんだな」という自信を深める事になりました。



お酒を飲まなくなったことで、自分の中には大きな変化が2つ起きました。

1つ目として、「感情の分解能」が上がった事です。お酒を飲まない事によって感情の起伏が小さくなりました。

その結果小さな感情の変化に気づけるようになりました。自分の気分とも向き合いやすくなり、考えもまとまりやすくなった気がします。

また、いままで酒を飲むことによって得ていた快楽を別のものに求めることになるので、日々の小さな幸福に気づけるようになりましたし、ライブも楽しくなりました。




2つ目は、「逃げなくなった」という事です。

いざお酒をやめてみると、「困ったら酒のせいにすればいい」という自分の思考の癖があった事に気づきました。全部自分のせいのはずなんですが。

飲むことを言い訳にして、自分が向き合わなくてはいけない事から目を背けていただけだったのです。実はnoteを始めたのもお酒をやめてからです。



何かに依存するということ


以上、お酒をやめて2週間経つまでの記録でした。改めて感じたのは「自分にはこれがないと生きられない」という思考の危うさです。お酒をやめてみて、「案外なくても人生どうにかなるんだな」という気持ちになりました。


これって別に酒に限った話ではないと思います。特に何かのオタクをやっている人って、その趣味を「生きがいにしている」のか、「依存している」のかの判別が非常に曖昧だと思います。

最初は楽しいから通っていたライブに「義務感」が芽生えてしまい、「罪悪感」を覚えながらチェキをループしてしまうようになってしまう。これって依存の始まりだと思います。



もちろん人生には何かしらの楽しみが必要ですし、オタクをしていないと味わえなかった最高の瞬間だって沢山あります。今すぐオタクをやめるなんて、絶対にできません。

でも、それが当たり前になってしまうと、「幸せの基準値」が上がってしまって、日々のちょっとした幸せに気づけなくなってしまうのではないでしょうか?


終わりに


まとめます。


飲まない方がカッコいい時代が来るかもよ?


以上です。


追記(2021/06/29)

先日、「お酒をやめるための意外な方法」という動画を見ました。


この動画の中で伝えられたことは、「飲まなくなるには、酒を飲まなくなる原因を絶つ必要がある」という意見でした。


ここでは、

・酒によって交感神経を押さえ込んでいた→サウナで副交感神経を働かせる
・嫌な上司によるストレス→異動によって距離を置く

という2つの事例が紹介されていました。


それでは、僕の場合は一体何が原因でお酒を飲んでいたかというと、「漠然とした不安」が嫌でお酒を飲んでいたような気がします。何となく将来が不安、このままでいいのか。。。という思いを酒で誤魔化していたのです。


じゃあ飲まなくなった分のストレス解消はどこに向いたかというと、それは「オタクすること」でした。

お酒をやめた直後、推し以外のアイドルも含め、みんながみんな愛おしくてたまらない時期が2週間くらい続きました。ライブや、推しに会いに行く機会も少しだけ増えました。


今は少しおちついていますが、やはり、オタクはオタクとしてしか生きられないのかも知れないとつくづく思っています。



追記(7月23日)

Amazon Primeで、「ルイ・セローが見た 慢性アルコール中毒者たち」というドキュメンタリーを観ました。


なかなかに衝撃的な内容でした。

思えば、本を読んだり、動画を観て知っている知識は、お酒をやめることに成功した人々によって作られたものでした。

この作品では、ジャーナリストがアルコール中毒治療の最前線で、実際に患者たちが解毒をしてはスリップを繰り返す光景を目の当たりにします。



この作品の特徴は中毒患者だけでなく、彼らの周りにいる人々にも注目したところです。筆者は数人の患者を取材しながら、アルコール中毒患者の根深い問題に切り込むようになります。

特に印象的だったのは、スリップを起こした男性がまさに解毒治療を始めようとする前に、「ウォッカを買いに行く」といって病室を抜け出していく場面です。



筆者は作中で、「周囲にいる人にとっての課題は支援方法や離れ時である」と語っています。

アルコール中毒というのは個人の問題ではなくて、なるべくしてなる環境があったからだということだと思います。


断酒成功のためには、完治のためには患者本人の努力だけでなく、周囲の働きかけも大事なのかもしれない、そのように感じました。

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