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【感想】光る君へ 第15話「おごれる者たち」

紫式部の目線で、『紫式部日記』を小説のように現代語訳した1冊『紫式部ひとり語り』が大変面白かったです。

大河ドラマは面白いながらも、あくまでもフィクションです。こちらの1冊は紫式部を、ただの人間として感じられる1冊でした。

どうしても歴史上の人物は、その功績しか知る機会がなく、だからこそ感情の揺れ動きによって、一人の人間として認識でき、血の通った人間がかつていたことを感じられます。


以下、感想です。




・実資に「どう思う?」って聞かれて、信用を、得ている……道長……。

・道兼、烏帽子まで脱いで……。
「なれたら死んでもいい」なんて言うたらアカン……言霊になってまう……。

・道長と伊周の競射、映像化されるとは。『大鏡』のそれとはまた違う展開でしたが、納得感のある流れに改変されたように感じました。


・ききょう様の「志」
夢でも目標でもない。漢詩の時も「志」って出てきたし、当時の「こうありたい、こうなりたい」という希望を示す語としては「志」になるのかな。

・ききょうの表情最高すぎませんか?? 間違った情報は訂正したうえで、それはそれとして「清少納言」の名は賜るのとか、なんかもう、ききょうだ……。


・石山寺行きたい~~絶対今年中に行きます。
いっそ歩いて聖地巡礼すべきか? 石山寺の公式ツイッターでも「京都から歩いて4~5時間ぐらい」と紹介されていました。とはいえ境内も石山で足元悪いし、行くなら無理しすぎない程度にやりたいですね。便利な時代になったのう……。


・寧子(道綱母)「私は日記に書くことで、己の悲しみを救いました」そうした救いを得る人はいつの時代もいたのだろうなあ。そしてこの言葉が後々、『源氏物語』にも繋がっていくのでしょうね。

私が平安時代に生まれていたら平民として、一生田畑を耕して生きていたんだろうな。文字を学び言葉を学び、noteやブログ、ツイッターを通じて書く手段があることが、本当にありがたいです。

・尊敬できる人に出会ったときの反応、普段と真逆なききょまひ面白い……。ききょうは言葉が出なくなり、まひろは饒舌になり。

・道綱お前ーーーーーッッ
視聴者としては「仕方ないヤツだな~」って笑えるんだけど、さわさんのことは不憫に思ってしまう。
でもこれ道綱だから許されるエピソードなのは本当にそう、他の登場人物が同じことやったら間違いなく批難ごうごうである。上地・道綱・雄輔すごいな……。

『源氏物語』にあるエピソードだし、現代よりも暗い中、夜這い先を間違えることも実際にありそうだけど、想い人がやってきて喜んでたら「間違えた」はツラすぎるな……。


・年月が経ってしまったし、もう小麻呂は出てこないかなあ……。猫が物語を動かすって意味ではもう十分に動かしてくれたし、出す必要性がないっていわれりゃその通りだろうけど。
ニモくん小麻呂以外の役でまた出てきてくれないかな、今度は中麻呂とか(ない)


・次回予告、香炉峰! そして名探偵倫子様!

万が一、道長の心にいるのがまひろとわかったら。菊の着せ綿のエピソードは完全に嫌味という解釈になるんだろうけど……そんなことになってほしくはない。
まひろから倫子様へは並々ならぬ感情もあるだろうし、二人の仲はただの友情とは言い難いけど、それでも友として相手を想う感情もあるのだと……信じたい……。



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