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読書⑧ 人間も経済動物

重田園江氏の『ホモ・エコノミクス』を読みました。
導入は飛ばし、思うところのエッセイです。

ホモ・エコノミクス ――「利己的人間」の思想史

著者(重田氏)が説く現在

「畜産革命」と呼ばれる近年のプロセスは、家畜の商品化そのものである。ここで商品化とは、家畜に値段がつくことではない。牛という生き物を、誕生以前の生殖から薄切りになって市場に並ぶところまで、パソコンなどの無生物商品と同じように扱うということだ。牛の生の尊厳を思うととても悲しくつらいが、それを食べているのは私たちなのだ。
その私たちはスーパーでパック詰めされた牛肉しか知らない。
その牛がどこからきて、どう育って、どんなふうに屠殺され、精肉の過程でどんな消毒をされたのか知らない。その牛がどのくらいの環境負荷を与えているのかも知らない。

私(抜けたカブ)が想像する未来

「ホモ・エコノミクス革命」は、人間の商品化そのものである。ここで商品化とは、外見や臓器に値段がつく人身売買を指すのではない。人間という生き物を、生前の遺伝子検査によって、労働市場で何をすると経済性が最も高まるのかを予測し、それに沿って育ててしまうことだ。

例えば生まれる前の子がプロサッカー選手になれそうであると予測される。そして「高卒でJ1のチームの選手になって20年プレーできる確率25%」くらいのレベルで数値を出せるとする。J1選手の平均年俸は3,400万円。この機会を得られる確率40%*プレー期間20年とするとサッカーをしたときの生涯収入期待値は2.72億円。日本で大卒・60歳までサラリーマンをした場合の生涯年収2.6億円を上回る。
そんな子には歩き始めるとボールを蹴らせ、物心つくとサッカーをやるように誘導する。インプットとアウトプットからなるシステム理論の世界では合理的である。

病院で生まれる前の時点でデータとして扱ってしまうわけだ。

生まれてくる子自身は、サッカー以外にどんな可能性を秘めていたのか知らない。

その子の選べなかった道を思うととても悲しくつらいが、その道を望んだのは私たち大人なのだ。

まとめ

こんな世界はディストピアですが。
昨今流行りの人的資本論が極端な方向で社会実装されたその先の、とある未来と言えるかもしれません。

最後に、本書の導入を紹介します。

私たちはいま、人間が追い求めてきた富と豊かさ、そしてそれを追求する自己利益の主体=ホモ・エコノミクスが、根本的に誤った価値観と結びついているのではないかと問いかけねばならないほど追いつめられている。

本書

今回の本

補足:人的資本論に関してのフォロー

人的資本論において人は、自分が所有する時間を最適配分する主体である。一生涯という限られた時間を、精神的満足という収益を与えてくれる消費と、教育や資格取得など人的資本への投資、そして労働という収益を得るための活動の三つの対象に最適に配分することが、個人の生を形づくる。人は自己の効用を極大化するように、限られた時間を割り振る。

ポイントは、主語は「自己」とし、自分自身で選ぶことです。
これが人生で最も大事なことでしょう。
(これを他人に選ばせると「とある未来」が見えてしまう)

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