見出し画像

【読書感想文】流浪の月(2019年 凪良ゆう 著)

いきなり違う本の話で恐縮だけど、最近話題になっている「13歳からのアート思考」を読んだ。たとえばサイコロを描いたイラストを見るとする。そこに「一」の目が書かれていれば、人はその裏に「六」があることを自然とイメージしている。目で見ているように思えて、結局は自分が「見たいように」しか見えていない。そんな視点が面白かった。

この「流浪の月」のテーマである「事実と真実は同じではない」というのは、サイコロの話に通じると思った。一の目が見えている「事実」をもとに、多くの人はその裏に六の目があることも「事実」だと思い込む。でも「真実」は実際にその裏を見た人にしかわからないのだ。


この小説でいえば「大学生の文と、小学生の更紗は何日も同じ家で共に過ごした」というのは事実だ。でも更紗が「被害者」というのは事実ではない。真実は、それが彼女にとって幸せな時間だった、ということになる。 

ここでふと思ったのは、事実と真実が混同されやすいのと同様に、真実と「評価」もまた混同されやすいものだということ。


たとえば、更紗に暴力をふるう亮。「ひどい男」であるのは多くの人が感じることだと思うけれど、親や身内から見た亮は、不幸な育ち方をした「かわいそうな子」でもある。そこに「真実」はなく、あるのは「評価」のみだ。


事実は客観的なものだけれど、評価は100パーセント主観的なもの。でもぼくも含めて、ひとはその主観に導かれた「評価」を「真実」と思い込みがちでもある。そこにどれだけ自覚をもてるか。ときに真実など存在しないことを意識しておけるか。それには想像力が必要だ。そして本を読むことは、想像力を大いに刺激し、高めてくれるのだと思う。


この作品を読むことで、自分の想像力がちょっとだけ広がったと感じた瞬間があった。なんだかとても「文の母親」のことが気になったのだ。ストーリー上は、世間体を気にして文を世間から隔離し閉じ込めた人であり、ネガティブな描かれ方をしている。でも更紗が「かわいそうな子」というのは真実でないのと同様に、文の母親も、その行動だけで「ひどい母親」と思ってしまうことは、真実が見えていない可能性もあると思った。文を隔離したという事実はあっても、心には愛情をもった母親だったという真実もありえるかもしれない。この本を読むことで、これまであまり意識していなかった「事実と真実のギャップを疑う」という想像力が少し芽生えたような気がした。
 


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?