第15回 『risk』と『danger』

前々回、「心」、「技」、「体」という具体的な例を出して説明しましたが、根本的に言いたいのは「リスクマネジメント(risk management)」をしっかりやれ、と言うことです。
私の周囲にいれば、このことは嫌と言うほど聞いて貰っていると思いますが、最優先事項ですので、今回から数回に渡って、もう一度と説明し直します。

日本人は、『危険《きけん》』という言葉の英訳を聞かれれば、『danger』と答えます。
また、『danger』の和訳を聞かれれば、『危険』と答えます。
それなら、『risk』の和訳を聞かれれば、何と答えるでしょうか。
多分、『危険』と答えるのではないでしょうか!?
では、同じように『危険』の英訳を『risk』と答える人は、果たしてどれだけいるでしょうか!?
実際のところ、まず、いないだろうと思います。

もし、『risk』と『danger』が全く同じ日本語の『危険』という意味なら、例えば日本語の『危ない』と『危険』のような関係なら、『danger』という単語と同じように、『risk』も同じように使っているはずです。
しかし実際のところは、『risk』があると言いながら、『danger』があるとは言わない。
これは、今の日本人は、『risk』と『danger』の違いを薄々気付いているからです。
そこで、この違いが重要になる訳です。

まず、『危険』の英訳が『danger』になり、『danger』の和訳が『危険』となることに間違いはありません。
このことから、日本語の『危険』、日本人が持つ『危険』という事象の認識は、英語では『danger』であることは間違いないということです。
そこで英語の『risk』ですが、最近の日本人は『危険』と言わずに、そのまま『リスク』と言う人が多くなっています。
つまり、日本人にとって『リスク』は、『危険』に似ている意味であるが、『危険』ではないということを理解し始めているということになります。
また、更に言えるのは、日本語には『risk』にピッタリと当て嵌まるような言葉(単語)は存在しない、だから、『リスク』とカタカナにしてそのまま使うということです。

言葉(単語)が存在しないとは、どういうことでしょうか!?
それは、日本人が積み上げてきた文化の中に、『risk』という考え方が存在しなかったことを意味しています。
存在していたら、当然、同じ意味の言葉が日本語で作られているはずだからです。

このため、日本人が『risk』を理解するためには、日本固有の考え方から抜け出さなければならなくなります。
日本人の考え方を捨て去り、欧米人の考え方に脳みそを入れ替える必要が出てくるわけです。

実は、『risk』の考え方を、日本人が歴史的に全く知らないという訳ではありません。
『虎穴に入らずんば虎子を得ず』という諺があります。
これは、後漢書の班超という将軍の列伝に書かれている一節で、因みにその内容は、次の通りになります。

後漢の明帝は、竇固を大将として北匈奴征伐に送り出し、班超は仮司馬として参軍した。
竇固は将兵を別けて伊吾(地名)を攻め、班超は別動隊を率いて蒲類海の戦いにおいて多くの首級を挙げた。
この働きに満足した竇固は、班超の有能さを認め、班超に従事の郭恂を付け、34人の部下とともに西域諸国への使者として向かわせた。
班超たちが楼蘭(国名)に使者として行った時に、初めは歓迎されたが、次第に雰囲気が怪しくなってきた。
原因は、班超たちよりもはるかに多くの使者が、北匈奴から楼蘭に派遣されて来たからだった。
数に劣勢な班超は、このままでは殺されると考えた。
そこで、多勢に無勢で怯える部下達に、「虎穴に入らずんば虎子を得ず(不入虎穴焉得虎子)」と勇気付けて、班超は先陣を切って北匈奴の一団に切り込んだ。
結果、奇襲を受けた北匈奴の使者達は慌てふためき、見事班超たちの大勝利に終わった。
これにより楼蘭は漢に降伏した。

つまり、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」は、「死地に活を求める」と同じように、「避けることが難しいときは、生き残る為に覚悟を決めて対峙しなければならない」という意味で使われている訳です。
実際のところは、『risk』と全く同じ意味とは言えません。
ただ、かなり似ているとは言える故事成語なのです。

ここで、気づいて欲しいのは、「生き残る為には」という一句です。
つまり、『risk』には、必ず『return』という『報酬』が存在するということを意識し、理解しなければならないということです。
『return』があるからこそ、『risk』を冒す。
つまり、『報酬』があるからこそ、『危険』を冒すということになるのです。

更に言い換えれば、『return』が無ければ、『risk』にはならない。
何の『報酬』も無いのに、『risk』を冒すことに意味が無いからです。
だから、こういう『報酬』が無い『危険』は、『risk』ではなく『danger』になります。
単なる避けるべき『危険』であり、それを冒すことは愚者の極みということです。
このことを、まずはしっかりと理解しなければなりません。

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