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一句から文学散歩(芸術から一句番外編)

十六夜杯スピンオフ企画「芸術から一句」は終わったが、よく考えれば以前から文学を素材に詠んでいたなぁと。俳句と都々逸のまとめ。


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語りえぬものについては、沈黙せねばならない
『論理哲学論考(岩波文庫)』ヴィトゲンシュタイン


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あらかじめアラビア人を殺そうと意図していたわけではない、といった。裁判長は、(中略)弁護士の陳述を聞く前に、あなたの行為を呼びおこした動機をはっきりしてもらえれば幸いだ、といった。私は、早口にすこし言葉をもつれさせながら、そして、自分の滑稽さを承知しつつ、それは太陽のせいだ、といった。廷内に笑い声があがった。
『異邦人(新潮文庫)』カミュ


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どれだけ道を歩いたら一人前の男としてみとめられるのか?
いくつの海をとびこしたら、白いハトは砂でやすらぐことができるのか?
何回弾丸の雨がふったなら、武器は永遠に禁止されるのか?
そのこたえは、友よ、風に舞っている
こたえは風に舞っている
『ボブ・ディラン全詩302篇(晶文社)』ボブ・ディラン


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もともと原始的宗教においては、一方の側に超越性としての客体(物)の世界ーその事物たちとは祝祭・ 供犠において破壊することを通じてしか交流できず、消尽することによってしかそこに参入できないような世界ーがあった。それが俗なる世界である。
『宗教の理論(ちくま学芸文庫)』バタイユ


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うららかな春の日に盲目の女師匠が物干台に立ち出でて雲雀を空に揚げているのを見かけることが珍しくなかった。女師匠が命ずると女中が籠の戸を開ける。雲雀は嬉々としてツンツン啼きながら高く高く上って行き姿を霞の中に没っする。女師匠は見えぬ眼を上げて鳥影を追いつつやがて雲の間から啼きしきる声が落ちて来るのを一心に聴き惚れている。
『春琴抄(青空文庫)』谷崎潤一郎


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昔、鈴鹿峠にも旅人が桜の森の花の下を通らなければならないような道になっていました。花の咲かない頃はよろしいのですが、花の季節になると、旅人はみんな森の花の下で気が変になりました。できるだけ早く花の下から逃げようと思って、青い木や枯れ木のある方へ一目散に走りだしたものです。
『桜の森の満開の下(青空文庫)』坂口安吾


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革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりに於おいては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変らず、私たちの行く手をさえぎっています。(中略)こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。
『斜陽(青空文庫)』太宰治


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昔者、荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄にして覚むれば、則ち蘧々然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此れを之物化と謂う。
『胡蝶之夢』荘子


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懐ろの広い薄造りの、黒釉の美しい、何とも言えず上品なお茶碗を掌の上に載せたのは、何年ぶりのことでございましょう。作者長次郎が亡くなったのは、師利休他界の二年前、私は私なりにこの黒茶碗については多少の思い出も持っております。
『本覚坊遺文 (講談社文芸文庫)』井上靖


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与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反してなんら一定の原因が与えられなければ結果の生じることは不可能である。
『エチカ(岩波書店)』スピノザ


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