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スロベニアのスープ「ヨタ」を作りつつ与太話

ジヴィヨ!ケイチェルおじだよ。

今日はスロベニアのスープ「ヨタ」を作ったので、まずはスロベニア語の挨拶。"Zivijo"っていうくだけた「こんにちは」の挨拶は、日本語サイトのカタカナ表記だと「ジヴィヨ」だけど、音声聴いたら「ジュイヨ」に聞こえる。スロベニア語は発音とアルファベット読みが一致しにくい言語らしく、なかなか難しそうだ。

他にもくだけた「こんにちは」として"Zdravo(ズドラーヴォ)"、かしこまったものとして"Dober dan(ドベル・ダン)"があるらしいけど、これらはクロアチア語とかセルビア語とほぼ同じだね。

スロベニア語は割と独特な言語で、基本的にはバルカン諸国の言語と同じスラブ語系だけど、ドイツ語にも近く、さらには数字の数え方がフランス語と同じ20進法ということでガリア=ケルト語の要素もあるらしい。

言葉だけ見ると小難しい国みたいに見えるけど、実際においたんが2〜3日滞在しただけの印象だけど、人も町も素朴で可愛らしい国っていう印象。

実はおいたんの人生初の海外旅行が20歳のときで、飛行機で最初に降り立った国はイタリアだったんだけど、その後は陸路でスロベニア、クロアチア、ユーゴスラビア(現セルビア)をめぐる旅行だったんだよね。だからおいたんの海外体験2カ国目はスロベニアだったんだ。

なぜこういうルートの旅行にしたかと言うと話は長くなる。時は1999年、おいたんは当時名古屋グランパスにいたユーゴスラビア代表のサッカー選手、ドラガン・ストイコビッチの大ファンだったんだ。

1995年にグランパスにやってきたフランス人アーセン・ヴェンゲル監督のもと、ストイコビッチは「ピクシー(妖精)」という愛称通りのファンタジー溢れるプレーを繰り広げ、前年までお荷物だったチームが生まれ変わって一躍快進撃を繰り広げたんだよね。

Jリーグが開幕した93年からサッカー見始めたおいたんだけど、このヴェンゲルとピクシーのいるグランパスを見て初めて「サッカーって美しいんだ」ってことを知ったよ。同じ頃から海外サッカーも見てたけど、ジダンのいたレアルも、ロナウジーニョやメッシのバルサも、ペップのシティも、どれを見てもこの時のグランパスより美しいと思ったことはない。

ヴェンゲルさんは96年にロンドンのアーセナルに引き抜かれてしまったけど、ピクシーは2001年に引退するまで名古屋でプレーを続けて、おいたんは関東で行われる試合はほとんど観に行ったなあ。

で、99年当時に戻ると、このときピクシーはユーゴスラビア代表キャプテンとして2000年欧州選手権(EURO)予選を戦ってたんだ。ちょうどその頃、木村元彦さんっていうサッカージャーナリストによるピクシーの伝記本が出版されて、それを読んだおいたんは感銘を受けすぎて、ピクシーの母国旧ユーゴスラビアに何が何でも行きたくなってしまった。

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そしたらタイミングよく『月刊グラン』っていうファン雑誌に、著者の木村元彦さん主催「EURO2000予選ユーゴスラビア代表応援観戦ツアー」っていうのが出てて、迷わず応募したわけです。

ところが99年3月、それまで緊張状態が続いてたユーゴスラビアの旧コソボ自治州をめぐる紛争で、NATOによる軍事介入が発表され、首都ベオグラードはじめセルビア各地に空爆が始まってしまった。

EURO予選のユーゴスラビアvsクロアチアの試合も延期が決定。申し込んでた応援ツアーも中止になっちゃった。

ミロシェビッチ政権がコソボ撤退を表明して6月に空爆は終わったけど、未だにあの戦争は本当に必要だったのか疑問に思ってる。EURO予選も9月に実施されることが決まり、ちょうど大学の夏休みだったのでツアーじゃなくて個人で行くことにしたんだ。

当時、インターネットはまだ黎明期だったけど、クロアチアやセルビアから情報発信してる日本人の人もいて、HPを通じてやりとりしてチケットを取ってもらった。

ちょうどローマのスタディオ・オリンピコで「イタリアvsデンマーク」の予選も行われたので、ザグレブでの「クロアチアvsユーゴスラビア」と合わせて2試合を観戦するという、充実した初海外旅行になったんだよね。

空爆3ヶ月後のベオグラードを目の当たりにするという貴重な体験もした。NATO軍の空爆というのは凄くて、連邦政府ビルとか重要施設の建物がピンポイントで狙われて、ぼっこりと穴をあけて下半分だけ残ってるわけよ。当時写メなんてなかったから「写ルンです」で撮った写真が押入れの奥にあるはずだけど探すのが大変なので割愛します。

えーと、何の話だったっけ?

そうだ、スロベニアのスープだ。セルビアやクロアチアについては、また別の機会に2つの国の料理を作りながら話をすることにしよう。

ちなみにスロベニアは、91年に旧ユーゴスラビア諸国のなかでいち早く独立した国で、その後クロアチアが独立したときとは違って、血みどろの戦争にはならなかったんだよね。経済的にも豊かな地域で、人も町もとても穏やかな国っていう印象。首都リュブリャナは一言で言えば「メルヘンチックな町」。家々の窓には花が飾られ、通りは緑に彩られ、中心部を流れる運河みたいな川には可愛らしい橋が何本もかかってる。女性が好きになりそうな町だよ。ちょうどネットでもこんな記事を見つけた↓

当時は外国の食べ物に今ほど関心が強かったわけでもないから、現地で食べた食べ物はほとんど思い出せない。イタリアのヴェネツィアから到着したその日のホテルで、夕ご飯に店員さんにおすすめされたミートソースのスパゲッティを食べたら、麺がフニャフニャで美味しくなかった記憶しかない(笑)

今回紹介するスロベニアのスープ「ヨタ」も現地で食べた記憶はない。前にハンガリーのグヤーシュを作ったときに紹介した佐藤政人氏の『世界のスープ図鑑』を見て、作りやすそうだったので選んでみました。

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こちらに書いてある通り、ザワークラウト赤インゲン豆を使ったスープです。

前日にポッサムを作ったときに残った豚バラの茹で汁を活用します。

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ザワークラウトと赤インゲン豆は缶詰を利用します。ザワークラウトはいつも瓶詰のやつを買うけど、缶詰を使うのは初めて。

フライパンでニンニクとニンジンとベーコンをしっかり焦げつくくらいに炒めます。ジャガイモはダイエットのため省略(笑)

赤ワインでフライパンの焦げをこそぎ落としつつ、豚バラの茹で汁に入れ、ザワークラウトと赤インゲン豆、トマトペーストを入れて、20分程度煮込みます。今回は圧力鍋は使用せず。塩胡椒で味を整えて完成です。

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初めて使う缶詰のザワークラウトだから、最初に水で洗って酸味を抜こうと思ってたんだけど、うっかり忘れてました。味見をしたときにかなり酸っぱかったので「これは失敗したか」と思ったんだけど、いざお皿に盛って食べてみるとそれほど酸っぱくもなく、むしろかなり美味しいスープに仕上がってた。バゲットを浸しながら食べると、バゲットが進みます。本当はこの倍のバゲット食べたかったけどダイエットのため自重。

うっかり買うのを忘れてしまったイタリアンパセリを散らせば、見栄えももっと良くなるかと。

赤インゲン豆と加工肉のスープと言えばブラジルのフェイジョアーダだけど、スロベニアのヨタはザワークラウトも入るので近年ブームの「腸活」にピッタリのメニューじゃないかな。

ちなみにザワークラウトを使ったメニューとしてはフランスのシュークルートの記事も書いてるので良かったらどうぞ。

コロナ禍の免疫力アップにいかがでしょう?

おわり。

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